2021/01/05
続篇 巻之九十三 〈10〉 叱る事が出来ない奏者番(城中の武家の礼式を管理する番役)
九鬼長州(初代守隆、1573〜1632)は、柳間(大広間席)の表大名だったが、今は入って奏者番である。わしが、在職中の旧知だったので、時にはかの邸を尋ねて会っていた。
ある日の談話中に、かの天徳寺(話の流れかんら山口県防府市の曹洞宗天徳寺か)披露のことを言いだすと、長州は云った。
「それは何某で(既に)執り行われましたよ。
総じて奏者番は、不念不調法ですので指扣(さしひかえるを転じて、非難する)を申し上げることは誰とても無いわけないですよ。
つまり脇坂淡州(安ただ〈草冠に重〉)は寛政の頃(寛政2年、1790)より奏者番を勤め、一度引退復職しましたか復職しました。
まあ今に至るまで一度もいい損じ(武家の無礼な礼式を叱る)はないのです」と。
これもまた人の及ばない所であり、稀なことだと思う。
※気が回らない事を叱らない。
不調法を叱るのが奏者番の仕事だろうに。目くじらたてるより、落語になりそうですねー。