水雲問答(21) 逆取順守

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答(21) 逆取順守

雲:
 逆取順守と申す語、聖人の制にははづれ申すべきなれども、英雄の心事に候。逆取順守も時としては用処之れ有るべく候。聖人の道も時に依り役に立ち申さず、其の他姦雄事業成就仕(つかまつ)るも図に当り機をはづし申さぬ故に候。君子は多く義理に拘(かか)はり、時を失ひ申候ゆゑ事を仕損じ候。大率(おおむね)姦雄は皆聡明頴利(えいり)、君子尽(ことごと)く正直愚拙(ぐせつ)。いかがの故にやと歎息仕候。

(訳)
 逆取順守(ぎゃくしゅじゅんしゅ:中国の殷(いん) の湯王(とうおう)や周の武王が、武力で天下を奪いとった後に、それを守るのに正道なよい政治を行ったことから、道理に背いたやり方で天下を取った後は、道理を守って国を治めること)という言葉は、聖人の制には外れますが、英雄の心がけでしょう。したがい、逆取順守も時としては用いることもあると思われます。聖人の道も時によっては役立たないことがあり、その他、姦雄(かんゆう:悪知恵を働かせて英雄となった人)が事業を成就させるのも、計画を実行するのに機会を外さないからでしょう。君子の多くは義理にかかわり、時期を失って失敗してしまいます。たいがい姦雄という人々は皆、頭がよく、利益を得るのがうまいですが、君子は正直・愚直であり行うことがへたくそです。どうしてそうなるのかと歎いているところです。

水:
 逆取順守、これを乱世に用ふべくして、治世に用ふべからず。治世に用ふれば大害を引出し、己も身を保つべからず。聖人亦是一種の英雄。子の南子に見(みま)え、胰肸(ひつきつ)の畔(そむく)さへも咄(はな)さうとて出られしこと勢しるべし。後の君子は君子といふまでにて、技倆(ぎりょう)なき者多し。これ書生の類にて、英雄と比肩すべからず。然れども君子小人の成敗は、如何にも高論の通りなり。

(訳)
 逆取順守という言葉は、乱世で用いるべきで、この治世においては用いてはいけません。治世で使うと大きな害が生じ、自分の身を保つことが出来ません。聖人もまた一種の英雄です。(論語にあるように)孔子が南子(いろいろ悪い評判も多かった衛の霊公婦人)に見(まみえ)えるために出かけようとしたとき、また、胰肸(ひつきつ;晋の領地の一地域の長官。反乱を起した者)が孔子を招いた時に孔子は思うところがあって会いに行こうとしたときに、弟子の子路が止めた話があります。孔子ほどの英雄(君主)なら兎も角、後の君主は、書生のように本を読む程度の類が多く、生きた学問をしておりません。そのため、かつての英雄とは比べ物にならず、君子と小人が争いますと、大概はずるがしこい小人に善人である君主が負けることになります。これはおっしゃるとおりです。

水雲問答(22) 人は用い方による

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答(22) 人は用い方による

雲:
 韓昌黎(かんしょうれい)曰くにも、棺(かん)を蓋(おお)うて是非定まると申すが如く、人は生涯を畢(お)え申さねば、品格もつけられ申さず候。小事に拙(つたな)きも大事は成し得、大事は糊塗(こと)候得ども小事は又敏なる者も之有(これあり)、何(いず)れ一方なる者にて、万事兼ね申候はこれ無きことに候。騏驥(きき)、人をかむ勢ありて千里を走り、駑馬(どば)、千里の能なくしてしかも馴使(じゅんし)の徳候。故に、英雄は翼を戢(おさ)めて風雲の念を待ち申候。百里の小邦は龐足(ほうそく)を展(のぶ)るに足らず候。

(訳)
 唐の文人韓昌黎(韓愈 768年-824年)が詩の中で「棺(かん)を蓋(おお)うて、事乃(すなわ)ち了(おわ)る」と申しております。人は生涯を終えなければ品格もつけられないと申します。小事には失敗ばかりしていても、大事に成功する人がいます。またその逆で小事には敏であるが大事はうまくいかないという者もいます。その両方を兼ね備えた人はおりません。名馬は人を噛む勢いがあり、千里も走りますが、駑馬(どば)は千里を走る能力はありませんが、人に馴れて仕事をします。だから英雄は翼をたたんでいて、風雲の起るのを待っています。三国志にある「百里の大賢の路」の例をあげるまでもありません。

(コメント)
三国志にあるように、諸葛孔明に並ぶとも称された龐統(ほうとう)は、最初はさえない見た目から地方の長官に追いやられて遊んでいたが、それを見た張飛が怒ると、溜まっていた仕事をあっという間に片付けてしまったという。これほどの逸材がいたのかと張飛は驚き「百里は豈に大賢の路ならんや」(百里のような狭い地を治める官職は、優れた人物の就くべき役職ではない)といったという。

(水):
 此の論確定易うべからず。

(訳)
 この論は確定されたもので易(か)えることが出来ないものです。

水雲問答(23) 媚びて悦ばせる

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答(23) 媚びて悦ばせる

雲:
 人心を得申候工夫は、先ず初は何れにも下に媚びて悦ばしめ、悦んで後信じ申候節、寛厳共に術中に有之候。一旦は忍ばざれば、事は得申すまじく候。子産の民に媚びよ。媚びて後信ずと申す語、殊のほか面白く候。

(訳)
 人心を得る工夫として、まず始めは下(民)に媚びて悦ばせるてやれば、悦んだ後には信じて従うことでしょう。そうすれば寛容にするのも、厳格にするのも術中にある事になりましょう。一旦は耐え忍ばなければ、事は得られないと申します。子産(しさん:春秋時代の鄭(てい)の宰相)の言っている「民に媚びよ。媚びて後信ず」という言葉は殊のほか面白いと思います。

水:
 事に処し、物に接する、力を史学に仮らざるべからず。今試に之を論ぜん。子産公孫黒(こうそんこく)を刑し、子南の仇を報ずるの類の如き、多少の手段有り。時事を経歴する者に非ずんば其の妙を解する能(あた)はず。夫(か)の書堆(しょたい)に泪没(こつぼつ)して空言闊論する者の若(ごと)き、理自ら理、事自ら事、判然二途たり、何ぞ能く之を為さん。

(訳)
 事を行い、物に接するには、本当の意味での史学(歴史)に学ばねばなりません。今、この実例(子産の民に媚びよという意味)を論じてみましょう。子産(しさん)が公孫黒(こうそんこく)に刑を下し、子南の仇をとったという話の類は、少し複雑な手段があります。これはいろいろと経験して幅の有る人でなければこの内容(民に媚びよ)の妙を理解できないのです。本ばかりを読んで、空理空論をする者には、真実が見えず、根本の道理と表に現れた事象が判然としないのです。そのため仕事もよくできません。

(コメント)
 中国春秋時代に、子産(しさん)は弱小だった鄭(てい)の国を安定した国にした名宰相といわれている人物ですが、この子産の一族である「子南」が妻を迎えようとした時、同属の公孫黒が男前であったのでその妻を横取りしてしまった。そして公孫黒は邪魔な子南を亡き者にしようと襲ったが逆に傷を負ってしまった。公孫黒はいろいろ手を廻して、今度は子南を国から追放してしまった。しかし、子南はじっと時を待ち、横暴な公孫黒が同属の仲間から嫌われるのを待って、公孫黒を処罰してしまったのです。このように世の中をよく知っている、経験のある人はいろいろな方策があるということを理解することも必要なのでしょう。

 ここでは、歴史書を読んで、その上辺を読んで理解しているだけでは真のことは理解できないといっています。
その歴史や背景などをよく理解して隠されている真意もよく調べることが必要だと述べています。

水雲問答(24) 賢臣を任ずる

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答(24) 賢臣を任ずる

雲:
 乱に臨むの君は各其臣を賢とすと申すは名言にて、天下の畏るべきことこの上なく候。 賢と存候も姦邪に候。姦邪却って賢人に候。いかにして識鑑仕や。君子善を為し、小人凶を為す、一徹の処に陥り申候。皆君の任ずる所より起き申候。任ぜざる時は、祖の害又甚だしく候。左様に事を案じ候ては、大事は出来申さず候。何れ我器量一杯に識鑑して委任する上は、不慮のことあらば共に斃れ申候心得より外はこれなく、祖上は了見の外に候。

(訳)
 動乱に臨んだ君子はとかくその臣(部下)は賢明な人物と思うといいますが、これは実に恐ろしい事です。賢明な家臣と思っている者が姦邪(悪賢いもの)であったり、姦邪だといわれている者が逆に賢明な人物であることもあります。どのようにこれを見分けたらろしいでしょうか。一般に、君子は善いことを為し、小人は凶(悪い事)を為すと一律に決めてしまうという先入観に陥りがちです。しかし、これも元をただせば、君子が任じた人物から起きるものです。とはいっても任じるのが危ないと思って任じないと、その害が甚だしくなったりします。このように心配していては大事はできません。結局、自分の器量めいっぱいに識鑑(見分け)して、人を任用する以外になく、もしそれで不慮のことが起こればともに斃れるという心得でいるよりほかに方法がありません。それから先は思いつくことではありません。

水:
 賢主は其賢臣を賢とし、暗主は其不賢臣を賢とす。其賢を賢とすれば則ち政茲(ここ)に挙(あが)り、若し夫れ之に反すれば、則ち国従って亡ぶ。危いかな。

(訳)
 賢明な君主は賢明な臣を使い、逆に暗い君主は賢明でない臣を賢明な臣として任用します。本当に賢明な者を用いれば,政(まつりごと)の成績は上がります。しかし、もし賢明でない臣を用いれば国は滅びます。とても危険なことです。

(コメント)
 問いに対する答えとしては不満が残りそうですが、しかし、部下を用いるにはよくよく考えて賢者を任じることで、それも上に立つ(任命する)者の品格が優れていなければならないということになります。
今の政治に当てはめて考えると・・・・・・うなってしまいます。

水雲問答(25) 善悪を分ける

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答(25) 善悪を分ける

雲:
 善悪を明白に分け申候わば、季世には怨を得申候て、且つ事を敗(やぶ)り候。明白に分けざるときは賞罰の道行われ申さず候。何れの処に止(とど)め申すべきや、伺い候。

(訳)
  善悪を明白に分けると、季世(末世)には悪から怨(うらみ)をかい、事を為せずに敗れてしまうことがあります。しかし、明白に分けませんと賞罰が行えません。どの程度にしておいたらよろしいのでしょうか。お伺いいたしたします。

水:
 善を善とし、悪を悪とし、黒白分け明かすは公道なり。然(しか)れども亦(また)此れに因りて以て事を敗り、怨(うらみ)みを取ること有るなり。渾然含糊(こつぜんがんこ)は一時を済(すく)ふに足るも、又遂(つい)に賞罰明らかならず、君子小人並び進むの弊(へい)あり。

(訳)
 善い事は善い、悪いことは悪いと、黒白をはっきりとさせるのが公道です。しかし、この黒白はっきりさせたために失敗して怨みをかうことがあります。渾然含糊(こつぜんがんこ:態度や言葉があいまいでハッキリしないこと)にして、善悪をはっきりさせませんと、一時はそれでよくても最後には賞罰がはっきり出来ずに、君子と小人の2つに割れて争いとなります。

水雲問答(26) 百万の甲兵に動ぜず

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答(26) 百万の甲兵に動ぜず

雲:
 天下の大事を為る者は、百万の甲兵も我胸中に蔕芥(たいかい)ともせぬ一気象なくては参る間じく候。何れ大小の事、死生之を以てと申す勢なくば参るまじく候。衰世は人の存込甲斐なく存申候。危を見て逃れ申候工夫と概歎仕候。

(訳)
 天下の大事を為そうとする者は、百万の甲(よろい:鎧)を着た兵士もその胸中に蔕芥(たいかい:小さなとげやとるにたらないゴミ)ともしない(物ともせぬ)ほどの意気軒昂がなくてはいけません。いずれにしても大小の事は生死を度外視して当たるという勢いがなければなりません。衰世(乱世でない今の世)はどうも人の事にあたる思いも甲斐がない(意気地がない)と思います。危険だと見てすぐに逃げようと工夫するのは、嘆かわしいことです。

水:
 百万の甲兵有るに陣を列(つら)ねて前(すす)むも、我れ之(の)意を動かすに足らず。而(しこう)して後を以て大事に当るべし。

(訳)
 百万の甲兵が列をなして自分の方に向かってきても、我が意は動じないという気概があって、はじめて大事に当らなければなりません。

水雲問答(27) 節義の風衰へ

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答(27) 節義の風衰へ

雲:
 後世に至りて節義の風おとろへ、俗に申す鼻まがりても息さへ出ればと申す風情にて、概歎仕候。此の弊風いかがして矯正仕るべく候や、伺ひたく候。

(訳)
 後世になって節義の風習がおとろえ、俗に「鼻が曲がってもいきさえ出来ればよい」などというようなことわざがあったと思いますが、嘆かわしいことです。この節義の無い風習はどのように矯正したらよいでしょうか。お伺いいたしたます。

水:
 節義の風衰へて、而して淟涊(てんでん)の俗興る。上の人以て誘ふ所有るに由る也り。

(訳)
 節義の風が衰えますと、淟涊(てんでん:垢がついて汚れること)のようなよごれた風習が盛んになります。これは上に立つ人がそのような手本を見せているから下はそれに誘われて起るのです。

(コメント)
 似たような話に「隗(かい)より始めよ」という言葉があります。上に立つ者ばかりではなく、自身も文句ばかり言っていてもダメですね。まずは自分が手本となって改めないといけないのでしょう。
道にゴミが散らかっていれば、そこにまたゴミを捨てるなどというようになりますね。
このようなことは上下の問題だけではないように思います。
人口減少で町も空洞化が起こり、空き家が増え草が生える。
このようなことはお上も下々も両方の協働が必要なのでしょうが、行政側は権限を持っていますので法律も整備していく必要があると思います。
ここでは基本的には国、地域のために上に立つ者は、まずは私をなくしてしっかりとした自分の立ち位置を確認して事を為してほしいと思います。

水雲問答(28) 今昔・事をなす

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答(28) 今昔・事をなす

雲: 
 今より見申せば、古人は出来そうもなきことまで為し得申し候。今人出来べきことも為し得申さず。如何のわけに候やと存候。

(訳)
 今から見ますと、昔の人は出来そうにない事をまでよくやり遂げています。今の人は出来るであろうこともやり遂げられません。どうしてでしょうか。


水:
 古人方(まさ)に行ふべからざるの事を行ひ、自ら謂(い)ふ、行ふべきの事と。今人は行ふべきの事を行うて、先ず自ら行はれずと疑ふ。事の行はれざる、職として是れの由。

(訳)
 昔の人は出来そうもない事を行い、自分では当然のことをしたまでだという。今の人は行うことが出来る事も、自分からは出来ないと疑っています。事が行われなければ出来ないのは当然です。これが職として(もっぱらの)理由です。

水雲問答(29) 執政に権は必要

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答(29) 執政に権は必要

雲:
 執政は、権なきはあしく候。固(も)と天下の鈞衡(きんこう)を掌(つかさど)り申任ゆえ、威権なくて叶はざることに候。
権と申て私を做(なし)申し候ことにては之れ無く候。

(訳)
 執政において権力が無いのは悪です。これは天下の均衡をつかさどるのに必要なことです。相手を従わせる権力(威権)がなければ執政は叶いません。権とは申うせ、これには私心を申すことではありません。

水:
 宰輔(さいほ)は権無かるべからず。権なくては国家を鎮圧するに足りず。若(も)し私心を以て権を立てば、即ち人、其の権を恐れず。矣(い:文章の終わりの語)

(訳)
 宰輔(さいほ:政治を行う者)には権力が無くてはなりません。権がなければ国家を安定して保つことはできません。もし、私心がその権にあれば、すなわち人はその権に対して恐れなくなります。

水雲問答(30) 無用の用

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答(30) 無用の用

雲:
 此間仰下され候無用之用の累、成程荘周の名言に候。事に物に心掛け、工夫を仕候。近来考へ申候に、天下の事、有用無用もと相持(あいもち)にて、尽(ことごと)く棄つべからず。所謂(いわゆる)棄物棄才なき道理に候。風月詩酒の類も、工夫に付けて多益を得申候こと、夥(おびただ)しきやに存候。鯨を刺すに、利刀は彼の動(うごき)に従つてぬけ、鉛刀は動に従つて深く入ると承り及び申候て、始めて感悟仕候。大事を做(な)す者は有ると有られぬ者を引込み、時宜に従つて取出し使ひ申候ことと存候。如何如何(いかんいかん)。

(訳)
 この間仰せ下さった「無用の用」の話は、なるほど中国の思想家「荘周」の名言です。いろいろな物事を心掛けて、工夫をしていると、天下の事で、有用無用にかかわらずどんなものでも棄てるものがありません。いわゆる「棄物棄才なき道理」です。風月で詩を詠み、酒を愛するといったようなことも、工夫の仕方によっては多くの益を得ることができます。それも少しのことでなくおびただしいものです。鯨(くじら)を刺すのに研ぎすぎた刀を使えば、鯨の動きによって抜けてしまいます。ところがなまくらな刀は鯨が動くと益々深く入っていきます。このことを最初に聞いた時は感動しました。大事をなす者は有りとあらゆる者を引き込み、時宜(じぎ)に従って取り出して使う(活用する)ことだと思います。如何でしょうか。

水:
 此の大手段なきときは、大経綸は成りがたかるべくと存候。牛溲・馬勃(ぎゅうしゅうばぼつ)・敗鼓(はいこ)の皮までも貯へたるが良医に候。鶏鳴狗吠(けいめいくばい)の客・門下にあれば、其の用を成候時必ず之れ有り候。然(しか)れどもあるとあられぬ者を引込候にも、少しく弁別なき時は人に誤らるるの患その所より発し申候と存候。

(訳)
 この大手段が時は、「大経論(だいけいりん)」は成り立ちません(けちけちした方法では、大きな問題の解決は出来ません)。 牛溲・馬勃(ぎゅうしゅうばぼつ:牛の小便や馬のくそ:役にたたないつまらないもの)・敗鼓(はいこ:破れた太鼓)の皮までも貯えて薬とするのが良医でしょう。鶏鳴狗吠(けいめいくばい:鶏の鳴きまねをしたり、犬の吠えるまねをすような)客(居候)や門下に置いておけば、何かの時に役立つことがきっとあるでしょう。しかし、ありとあらゆる者を引き込んで使うには、その見分ける能力が無ければ時には間違いを起こし、禍となるようなことにならないとも限りません。

水雲問答(31) 原泉溝澮(こうかい)

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答(31) 原泉溝澮(こうかい)

雲:
 小子道中にて雨に逢(あい)、雲霧の厚きは雨必ず強く、薄きは必ず微(かすか)なるをみて感ずることあり。基本厚きは必末(すえ)遠し。故君子の学を為すも、博く胸中に蓄積することを務むべし。其物に応て用ゆるとも端倪(たんげい)すべからず。浅露なるときは障支多かるべし。治国の術亦(また)然り。広く衆謀(しゅうぼう)を集めて而(しこう)後作用甚大なり。

(訳)
 私が道中で雨にあうとき、雲や霧が厚い(濃い)時は雨が必ず強くなり、薄いときは雨は微かにしか降りません。これを見て感じるのですが、基本として事案も暗雲が濃い時は先が遠いとおもいます。ゆえに君子が学をなすのも、日々、博く知識、学問を自分の胸の中に蓄積するように務めなくてはなりません。知識を物に応用して用いる時も初めから終わりまで安易に推し量るべきではありません。浅露の時は支障が多くありましょう。治国の方法もまた同じです。広く皆の意見を集めてから行うことは、作用が膨大になります。

水:
 これは『孟子』の原泉溝澮(こうかい)に喩(たと)へたると同一般の意にして、正面の道理なるばかり、何も発明の所を見ず。

(訳)
 この質問は、「孟子」が言った「原泉溝澮(こうかい)の喩え」と同じ内容であり、わかりきった正面の道理でしかありません。何も新しい発見の箇所は見えません。

(コメント)
 この孟子の「原泉溝澮(こうかい)の喩え」とは、『孟子』離婁(りろう)章句下にある話で、
弟子の徐子が孟子にこう質問しました。
 「仲尼(チュウジ:孔子)は、しばしば水について、『水なるかな、水なるかな』と言ったといいますが、水にどんな取り柄があるというのでしょうか。」
すると孟子は次のように言いました。
 「原泉(水源のある水)は、こんこんと湧き出でて、昼も夜も休みなく流れて、溝澮(こうかい:田圃の大きな溝、小さな溝)を満たせば次に進み、全てを満たしていく。およそ本源のあるものは、このようなもので尽きることがない。孔子はただこのことについて感心したのだ。」と
という話しがあります。

水雲問答(32) 光明正大

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答(32) 光明正大

 雲:
 凡そ人は光明正大の四字を自修の符とすべし。悪をなし出す、多くは陰柔幽暗(ゆうあん)の処に於てす。陽光明々の地にしては必ず羞恥(しゅうち)の心を生ず。飲酒放縦の楽(たのしみ)も昼間に行はれずして、夜陰に行るるが如し。故に大義を作(な)さんと為(す)る者は、光明正大に身を押出して、我ながら媚弱(びじゃく)の業なし出(いだ)されぬやうにして、一箇の術略を以て処世の妙を顕(あらはさ)ば、古人の如く事をなし得べし。

(訳)
 およそ人は光明正大の四字を修学の御札とするべきでしょう。悪をはたらくのは、多くの場合陰の暗いところで行うでしょう。陽があたって明るい場所では羞恥の心が生じます。飲酒したり勝手なことをする楽しみもまた昼間には行われず、夜陰に行われると同じです。そのため、大義を行おうとする者は、光明正大に身を前面に押し出して、自分からいじけたところを出さぬようにして、一種の方法(手段)をもってやっていけば、古人のように事をなすことができるでしょう。


水:
此の論是(ぜ)なり。ただ立言に病(へい)あり。一ケの術略を以て処世の妙を顕すなど、聞(きこ)へ難きことなり。媚弱の業など何の事とも聞へず。総(すべ)てこれは皆真文にもなく俗文にもなき故、語と意の不都合にて、人を感ずる所なし。やはり答問書などの如く、俗文にしたる方、命意徹底すべし。

(訳)
 この論はもっともです。ただ、言葉の表現に不味いところがあります。「一ケの術略を以て処世の妙を顕す」というのは、すこし聞きがたいことです。媚弱の業などという事もよくわかりません。これらはすべて、漢文体(真文)にもなく、口語体(俗文)にもそのような表現はありませんので、語と意味が符合せず、人も感じません。やはり答問書などのように俗文(口語体)にした方が、命意が伝わるでしょう。

水雲問答(33) 君子剛柔の論

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答(33) 君子剛柔の論

雲:
 君子は剛を以て世に立つ。小人は柔を以て世を渉(わた)る。小人剛を用ゆれば敗る。君子柔に隠れて世を渉(わた)らんとするときは、必ず讒険(ざんけん)の為に陥(おとしいれ)らるること、古今歴々たり。剛は剛を以て徹底せんこと可なり。少く禍を避るの心有るべからず。然りと雖も言葉を慎むべきなり。

(訳)
 君子は剛(自分の強い信念)をもって世にたちます。一方小人は柔(あたりさわりのないように妥協しながら)世を渡ります。もし小人が剛でいこうとすると必ず失敗します。君子が小人のような柔で(妥協しながら)世を渡ろうとすれば、必ず讒言(ざんげん)や陰謀などのために、陥(おとしい)れられてしまうでしょう。これは古今の歴史を見ても明らかです。
そのため、君子は堂々とした態度(剛)で、信念を曲げずに徹底して行うことが大切です。少しの禍をも避けようとする心があってはなりません。そうはいっても言葉は慎むべきです。


水:
 君子剛柔の論、尤も当れり。君子柔を以て破るるなど、尤も微妙の真実論、多く聞かざる所なり。敬服々々。これらの論惜(おしむ)らくは一場の説話となりて、雲烟(えん)消滅、此後かな文の答問書の如くして、その往復冊子になすようになさば、下げ札も亦一時のことになく、骨折(おり)て脱破すべし。高明以て如何と為す。

(訳)
 君子剛柔のご意見、ごもっともです。君子が柔(曖昧な妥協)をもって行うと失敗するというのは、最も微妙な真実論であり、あまり聞かないものです。敬服いたしました。これらの論(意見)は、惜しい事に、そのとき、その場だけの説話となってしまい、雲煙(けむり)のように消えてしまいます。そのため、これをかな書きの答問書のようにして、これらの往復書簡冊子にしてまとめたら、下げ札をなどが取れてなくなってしまえば苦労したのがむだになりますので、一冊に纏めるのが良いとおもいますが如何でしょうか。

(コメント)
 このやり取りが結果として現在残った「水雲問答集」となり世に残ったのでしょう。
甲子夜話もそうですが、そこに残されたこの水雲問答もここでその経緯が明らかにされています。

水雲問答(34) 大事、跡あるべからず

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答(34) 大事、跡あるべからず

雲:
 大事をなし出すもの、必ず跡あるべからず。跡あるときは、禍必ず生ず。跡なき工夫いかん。功名を喜ぶの心なくしてなし得べし。

(訳)
 大事をなすものは、なにも形跡があってはなりません。跡があれば禍が必ず生じます。跡を残さぬ工夫はどうしたらよいか。それは巧名を喜ぶ心をなくして無心でやるしかないでしょう。

水:
 是も亦是なり。功名を喜ぶの心なきは、問学上の工夫を積(つま)ざれば出来まじ。周公の事業さへ男児分涯のこととする程の量にて、始て跡なきやうに成るべし。然らざれば跡なきの工夫、黄老(こうろう)清浄(しょうじょう)の道の如くなりて、真の道とはなるまじ。細思商量(さいししょうりょう)。

(訳)
 これもまた是(ただしいこと)です。功名を喜ぶ心を持たないというのは、学問上の工夫をよほど積まないとできません。周公(長い安定した王国「周」を建国した人物)の事業さえ、男一匹としての為すべき度量があって始めて、跡がないようになるのでしょう。跡がないようにすることだけに偏って工夫すると、いわゆる「黄老清浄の道」(中国の戦国時代末期から漢の初期に流行った、何もしない方が却って治まるという黄老道)のようになって、真の道ではなくなります。細かく考えて検討ください。

水雲問答(35) 始ありて終なき

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答(35) 始ありて終なき

雲:
 凡その事を処置致し候に、終を量り申すべきこと肝要と存申候。左様候者(そうらはば)大過は之れ無きことと存申候。恐れながら神祖の御事業、小大ともにこの処能々(よくよく)御工夫在為したまい候ことと存じ奉り候。夫故(よれゆえ)の万世に垂れて、御法崩れ申さず候。豊公杯(など)一時の英主に候得ども、一時を鼓舞する迄にて、この工夫疎(うと)く存候。況(いわん)や凡人は事々物々に心附(こころつけ)申すべきことに存申候。

(訳)
 およそ事を実行するときに、その終わりを考えて行うことが肝要と存じます。このように考えますと、大きな問題はないと思われます。恐れながら神祖(家康公)のなされた事業は、大小さまざまな事によくよくこの御工夫がされております。それゆえ、諸国全般に法を執行しても、その法が崩れないのです。豊公(秀吉公)などは、一時の英雄でありますが、一時において華やかに鼓舞いたしましただけで、この終わりに対する工夫が疎(うと)いためと思われます。ましてや凡人は、その時々の事や物に執着してしまうことになりましょう。

水:
 始ありて終なきは、何事によらず慎むべきの専要に候は申(もうす)に及ばず、高論少しも間然(かんぜん)すべき之無く候。されど初心輩に此のことのみ勤めさせ候はば、一事ごと縮みて、手を下すべきの所無き様にも心得ること有るべきにや。縝密(しんみつ)の者には対症の薬石(やくせき)なるまじく、材幹ありて妄(みだ)りに事を為すことを好むものには、頂上の砭針(へんしん)なるべし。是等にも限らず、教誡(きょうかい)も其人により変通なくて協(かな)はざること多きやに存候。

(訳)
 始めがあって終わりがないということは、何事においても慎まなければ成らないのはいうまでもありません。ご意見は欠点などありません。けれども初心者の連中にこの事だけを行わせますと事ある毎に縮みこまってしまい、手を下すことが無くなってしまうようにも思われます。縝密(しんみつ:慎み深い)な者は、病気に対しての薬石(病気に対する薬や治療法)の様にもならず、材幹(さいかん=才幹:物事を成し遂げる知恵や能力)があって、やたらと事を行うことが好きな者には、急所を突いた教訓(戒め)となるでしょう。これらにもかかわらず、教誡(きょうかい:教え戒めること)もその人によって変化に対応していくことができず叶わないことが多いと思います。

(コメント)
頂上の砭針:砭針(へんしん:お灸の針)で、頂上は頭の上なので、頭の頂上にさすお灸の針・・・人の急所をついて強く戒めることをさし、ここでは急所を突いた戒め(教訓)の意。「頂門の一針」と同義語

水雲問答(36) 勤(つと)むるは善

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答(36) 勤(つと)むるは善

雲:
 人生は勤むるに成(なり)て、怠るに敗るることは申すまでも之れ無く候へども、勤むるは善きと知りながら、怠り易き者に之有り候。且(かつ)識(し)ればいつにても出来る迚(とて)、勤に怠り申す類毎々(つねづね)有り候。天下一日万機に候まま、日新の徳ならで叶なわざることに候。小人の志を得申候も、多くは此処(ここ)より出申候。力(つとむれば)能く貧に勝つと申す古語、面白きやに存じ申候。 聊(いささか)のことながら大事に存候。

(訳)
 人生は勤むる(努力する)ものが成功し、怠ける者が敗れるというのは申すまでもありません。しかし勤める(勤勉に努力する)のが善であると知りながら、人は怠りやすいものです。また、そんなことは知っているからいつでも出来ると思い、努力を怠ることがよくあります。しかし天下のことはたった一日でいろいろなことがおこり、何時何が起るかわかりません。日新(日に新たに)の心がけでなければ叶わないものでしょう。小人(つまらない者)でも志しを得るのは、ここから出ます。努力をすれば貧に勝という古語は大変良い(面白い)言葉と思います。些細なことのようですが大変大事なことと思います。

(コメント)
・日新の徳・・・「苟(まこと)に日に新たに、日々に新たにして又日に新たなり」(大学)
・力(つとむれば)能く貧に勝つ・・・「力むれば能く貧に勝ち、慎めば能く害に勝ち、謹ねば能く禍に勝ち、戒むれば能く災に勝つ」(説苑:ぜいえん)

水:
 いつも出来る迚(とて)為(せ)ぬは、学人の通幣に多き者に候。小人栖々(せいせい)として勤め、それが為に苦しめられ候こと、昔も今も同様に候。鶏鳴而起、孳々(じじ)として善を為すは切近のこと候へども、余り手近過て知れたることよ迚、空く光陰を送り候こと、我人ともに警(いまし)むべきの第一たるは勿論に候。貴人、尚更勤(つとめ)ぬ者に候。此くの如きご工夫面白く存候。

(訳)
 いつも出来るからといって行わないのは、学問をする人のよくある悪いくせです。小人(世間一般の人)がこせこせと勤め(努力し)て、その事によって苦しんでいることは、昔も今も変りません。鶏鳴而起(鶏が鳴く声を聞いて起きる)、孳々(じじ:努力し励む)として善を為すということは誰にでも切実なことですが、あまり手近か過ぎて、わかりきったことだとして、うかうかと時を過ごしてしまいます。これは私も含めお互いに注意をしなければならない(いましめるべき)第一です。またこれは地位が上の人ほど努力しません。このような工夫のご意見は面白く(良いと)思います。

(コメント)
・鶏鳴而起、孳々(じじ)として善を為す:これは孟子の言葉です。
 孟子曰、
 雞鳴而起、孳孳為善者、舜之徒也。
 雞鳴而起、孳孳為利者、蹠之徒也。
 欲知舜與蹠之分、無他。利與善之閒也。

(鷄が鳴くと起き、勤勉に善をなす者は聖人(舜)の徒である。
 鷄が鳴くと起き、せっせと利益の為に行動する者は蹠(せき:足の裏=盗人)徒である。
 この舜と蹠との違いを知ろうと思えば、ほかでもない、目的が利害であるか、善であるかを知ればよい。)

水雲問答(37) 快活に事をなす


雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答(37) 快活に事をなす

雲:
 凡そ事を做(な)すに、快活に致し度候。譬(たと)へば千金の賞を与るにも、嗇(おしむ)の心あるときは人恩に感ぜず、一毛を抜て与るも、誠意なれば人感服す。同じ品にても、此方の致し方にて人の心に徹底せぬことあり。。譬(たと)へば倹素の令を下さんと為るに、俗人とかくに蹙眉(しゅくび)して事を做(な)す、故に敗(やぶる)こと多し。豁然(かつぜん)として做(な)さば、人服すこと疑なし。人を使うも、活かして使い、殺して使い申候とは雲泥の相違に候。此所深意思あり。恐れながら徳廟の上意に、人は困りたるときうつ向く者は役に立たず、困りたる迚(と)て仰(あ)を向く者が役に立つと。信(まこ)とに恭感仕候。

(訳)
 およそ事を行う時は快活にいたしたいと思います。たとえば、千金の賞を与えても、どこかケチケチした心で与えても人はその恩を感じませんが、一本の毛を抜いて与えるとしても、そこに誠意があれば人は感服します。同じ品でもこちら側のやり方で人の心に徹底しないことがあります。たとえば、質素倹約の令を下すときに俗人はとかく眉をしかめて(けちけちして)令を下すものですから、成功しないことが多くあります。これを豁然(かつぜん:心の迷いが無く開けている様子)として行えば、人は必ず従うでしょう。人を使うのも活かして使うのか、殺して使うのかでは雲泥の相違があります。このところは大変大切なところです。恐れながら徳廟(将軍吉宗公)の上意に、「人は困った時に下を向いてしまう者は役に立たず、逆に困ったときに上を仰ぐ者は役に立つ」と言われていますが、まったくもって恭感させられるご意見です。

水:
 是は我精神の備(そなえ)と不備との差別に候。快活にするとても、人を服さしめん迚(と)、手段しては人は服さぬ者に候。一盃の満たる精神を打ち出して、人の服不服も頓着なしに為ると、やがて人心服し候者に候。蹙額(しゅくがく)して事を為(なす)は、自から何(い)かが有らんと危ふ意故に候。自から危ぶむことの成就するは稀なる者に候。古(いにし)へは行ひ難きことを行ひおほせ、今人は行ひ易きことを行ひおほせ申さず。精神計(ばかり)にもなく、識の足らぬ所も手伝候。識ある上に精神満ていの者は、何(いか)なる大事をも成しおほせ申すべき。享保の尊喩は百折不撓(ひゃくせつふとう)の所に候はば、かの精神の盛(さかり)よりならでは出来申さず候。識ありても柔弱なる人は何の用にも立ち申さぬ所、又ここの所に候。

(訳)
 これは自分の精神が備わっている(出来ている)か不備(出来ていない)かの差であり、快活にしても、それが人を服させようとする思い(手段)であれば、人は服さぬでしょう。心いっぱいの精神を打ち出して、人が服するか、服さざるかなどに頓着せずに行えば、やがて人は服するでしょう。額にしわを寄せて事を行えば、自分からそれが出来るかできないかを危ぶんでいる事になりますからうまく成就することは稀でしょう。昔の人は行いがたき事を成し遂げておりますが、今の人は容易なことでも成し遂げません。これは精神ばかりでなく、識(見識)が足りないところも手伝っているでしょう。識があって、その上精神がいっぱいに充実した者は、どんなことにも大事を成し遂げることができるでしょう。享保の尊喩(将軍吉宗公の教訓)は、百折不撓(ひゃくせつふとう:何度失敗しても絶対諦めない)の精神であり、このような精神が旺盛でなければ出来ません。識があっても柔弱(軟弱)な人は何の役にも立ちませんと言うのは、ここにあります。

水雲問答(38) 赤心を人の腹中に置き、内冑(うちかぶと)を見せてかかれ

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答(38) 赤心を人の腹中に置き、内冑(うちかぶと)を見せてかかれ

雲:
 凡そ人は余りと疑ひ申候ては、ことを做(なし)得申さず。疑ふべき者を疑ひ、あとは豁然(かつぜん)たるべく候。尤も疑と云(いふ)もの、もと量の狭(せまき)より起り申候。夫(それ)に我が心中を人の存知候ことを厭(いとひ)申は、俗人の情に候。それ故隔意計(ばかり)出来、事を敗り申候。大事を了する者は、赤心を人の腹中に置(おき)、内冑(うちかぶと)を見せて懸かり申すべきことと存候。

(訳)
 およそ人はあまりに疑いすぎては事を成し遂げることができません。もちろん疑わしいところは疑っても、あとは豁然(かつぜん:からり広いこと)としてしているべきです。もっとも疑いというものは、度量が狭いから起こります。それに自分の心中(胸中)を人に知られたくないというのは、俗人の情です。そのため、人とのあいだに意志の隔たりができて、事が失敗するのです。大事をなそうとする者は、赤心(まごころ、誠意)を持って人に接し、自分の冑(かぶと)の内を相手に見せてかからることが大切であると思います。

水:
 人を疑ひて容(いる)ること能はざること、我心事を人の知らやうに掩(おお)ひ隠すを、深遠なることのやうに心得るは、皆小人の小智より出(いず)ること云うに及ばず候。大丈夫の心事、常々青天白日の如くして、事に臨むに及んでは、赤心を人の腹中に置(おき)て、人を使ふことを我が手足を使ふ如くするこそ豪傑の処為ならめ。学々焉々。

(訳)
 人を疑って許すことができないこと、また自分の心の内をひとに知られぬように隠して、いかにもそれが深遠なことのように思い込むのは、皆、小人のつまらぬ考えから出ているということは言うまでもないことです。
堂々とした大丈夫の心中は、いつも晴れた青空に太陽が輝いているように、大事にあたっては赤心(まごころ、誠意)を相手の腹中に置いて、人を自分の手足のように使ってこそ豪傑の仕業と申せましょう。これを学びたいものです。
(焉:えん・・・文末におき一般的には読まない)

水雲問答(39) 聖賢と英豪

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答(39) 聖賢と英豪

雲:
 天下の大政を秉(と)る者は自任致し申候て掛り申さねば成り申さず候。我が力足らざるを知てことを引き、勝手に致し候もよきことながら、大政を秉るに臨(のぞみ)ては、我が出来ぬ迄も、押付け申候才力なくて叶(かな)はざることに存候。器量一杯に做(な)し申候て叶はざる時は、身退くより外之れ無く候間、自任致し申すべくと存候。

(訳)
 天下の大政を執る者は、俺がやるといった自分の力量に自信を持って臨むようでなければ、やり遂げることはできません。
自分の力不足を知ってさっさと仕事から手を引き、勝手気ままに暮らすのも良いですが、大政を執るという場合に臨んでは、自分では出来ないと思った事も引き受けてやり遂げてしまうという才力がなければなりません。
自分の器量いっぱいやりとげて、万一うまく行かぬときに、身を引く(辞任する)までのことです。

水:
 己を量るの論は前郵に論(ろんじ)候やと覚(おぼえ)申候が、今般の高説は平易の道理にて之れ無く候へども、有為の人、亦此志なかるべからざる所にして、面白く承(たてまつり)申候。然(しかれ)ども是等は万世の訓とすべからず候。其人を得て論ず当た(べ)きの説に候。是、聖賢と英豪との別に候。英豪の見は時として用ゆべからず。聖賢の語は何づくに往(ゆく)として用ゆべからざるは無き所の段階に候。

(訳)
 己の力量を測って事に当たるという論については前の手紙で論じたと覚えておりますが、このたびのご高説は、わかりやすい平易な誰にでもわかるという道理ではなく、志の高い人の議論です。またこの志しが無ければ言えない所であり、面白くうかがいました。しかし、これらのことは、だれにでも当てはまるという訓(おしえ)とはなりません。これが聖賢と英豪の別れるところです。英豪の意見は時として用いることが出来ません。しかし聖賢の語はどの時代、場所などに係わらず用いられないことはありません(使われるものです)。

水雲問答(40) 権は早く握りて早く脱す

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答(40) 権は早く握りて早く脱す

雲:
 権の一字、大臣たるものとらで叶はぬ者に候。得るとも、とかく禍の出来勝手の処に候。老子の、客となりて主とならずなど、処世の妙を吐露仕候なれども、時に寄り左様計(ばかり)も申し難く、早く握(にぎり)て早く脱し申候こと、第一と存候。公平にして権を握る禍、何に由りて生ぜんやと存候。

(訳)
 権の一字を考えますと、大臣というもの、いやそれ以外でも指導的立場にある者はみな権力を掌握しなければなりません。
しかしながら権力というものは、とかく禍いが生じやすいものです。「老子」の、「(何事によらず)客となりて主とならず」などと処世の妙を吐露仕していますが、時によっては、そのようにばかり申せませんので、権(力)というものは早く握って早く脱却することが第一と存じます。(権力を私しないで)公平にして権を握れば禍など起こりましょうや。


水:
 是は大に発明の高輪に候。老子の説より教となり申すべく候。

(訳)
 これはあなたが考えつかれたすばらしいご議論です。老子の説よりもっと教えとなるでしょう。

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