2021/02/01
水雲問答(1) はじめに
甲子夜話 巻39 <1>まだ若き上州安中の藩主である板倉綽山(雲)は、若いながら学識も豊かで、勉強熱心な学者風の藩主であった。
その板倉綽山(雲)が師と仰いで意見を求めたのが、林述斎(水)で、江戸幕府の大学頭に抜擢され、その後の江戸末期に活躍する多くの賢人を育てる礎を築いた儒学者である。
年齢は師・林述斎(水)の方が17歳ほど上だ。
また、この問答やりとり書簡に興味を持ったのが、松浦静山公で、年は林述斎よりさらに8歳ほど上である。
板倉綽山(雲)は幕府の大学頭である林述斎を師と仰ぎ、論語や易などいろいろな書物を読み、孔子、孟子や古代中国などの人々の考え方などを学び取り、中国、日本の戦国の時代に活躍したの英雄たちの行動を研究し、国を治める方法について書簡で質問を繰り返しています。これに答えて林述斎は実際に学ぶべき真の理を説いて教えています。
また、書簡がある程度溜まったところで、それを纏めることを提案しております。
しかし、ある程度学問が上達しこれからというときに病に倒れて亡くなってしまいました。約35歳くらいでした。
しかし、この問答に目をつけたのが松浦静山公です。
静山公はやはり、林述斎とは学問を仰ぐ師でもあり、何かと相談をしていたようです。そして、自分は孔子や孟子などの聖賢にはなれなくとも、自分が死んだ後に何か役に立つもの(証となるもの)を残したいと、述斎と相談して、この甲子夜話を書き始めたのです。そしてこの中に、手に入れたこの問答集を挿入したのです。
この「水雲問答」の内容は、当時の江戸幕府の藩制の中に限らず、今の政治の世界にも大変役に立つ興味深い内容に溢れています。
今の政治にも見落とされている点が多く書かれていますので、きっと何かのお役に立つと思います。
雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林 述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
これから、この水雲問答を筆者の拙い訳を加えて順番に紹介していきます。
内容的には同じようなことが所々に出てきますので、全部を終えてから整理できれば手を加えたいと思います。