続篇  巻之30  〔9〕明和8年の旧事

 8月10日は大雨で、こずえを揺らし、木葉を翻し飛ばし、庭潦(ていりょう、地表を流れ、溜った雨水)は池の水となり、簷滴(えんてき、庇を流れる滴)は瀑布の如し。

 けれど初めの夜の頃は、空が徐々に蒼さを顕し、月の色は朦朧としていた。

 それより安に就いたが、明旦に起きると、気は晴れて、天は定まり秋の光が十分であった。

 今日は父君の正御忌日なので、この様に晴れることは幸いであった。

 日が昇れば天祥寺に詣拝しようと思うままに、過ごし旧事を思い出すが、子孫近臣の輩も、わしが言わないと(記録に残さなければ)知ることはないと筆に載せる。
 
 明和8年(1771年)8月、わしは浅草の邸に在って、年12歳であった。

 10日の夜は久昌夫人の側ら蚊帳の内に臥せていたが、父君の御病〔瘧、おこり、マラリヤを患っておられた〕危篤に及んだと告げられたのを夫人は聞かれ、わしに仰せがあったのは、未だ暁前であった。

 「私は往くべきでない。汝ははやくゆき給え」とのこと故、即起き出て髪を梳(くしけず)っていると、卯の刻(午前6時から7時頃)も過ぎた。
 
 わしは花色の帷子(かたびら)に隅切(すみきり)角お中梶葉紋のついたのを襲(かさ)ね、袴を着て、小さい双刀を帯び、夫人の切戸番1人を従え、わしの僕にてある市平と呼ぶ者と上下3人〔わしはこのときは山代某と名乗り、未だ松浦の称号をも賜っていない〕、歩いていき路を急いでいった。

 その頃まではいまだ大川橋はなかったので、御厩の渡舟よりして辰の前(午前8時頃)に本庄の荘に到った。

 父君の御寝所に入ったが、父君は蚊帳の中に臥しておられる傍近くにて、終(つい)の御目見し、良久(しばし)して涙ながらに立出つつ、また急ぎ帰り、夫人にこうでしたと御容体を語り奉ると、夫人の玉わく。

 「天の思し召しではあるが、、、唯その事ばかり今は思いの種です」と泣かれたこと、今更念えば星霜すでに64年。感愴に堪えず。また涙を流しつつ、かく社(こそ)。

 林評 誠に至情の御文字にて、読む者も感愴に堪え申すことが出来ません。さてさて実情と申すは、おのずから筆の先にもあらわれるものであります。
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三篇  巻之72  〔13〕石翁より刀架(かたなかけ)が贈られる

  過ぎし己亥(天保10年、1839年か)の春、計らず家が類焼した。

  如何なる如何なる天罰かと思って新営するにも、そればかり心にあって、務めて質素をこととし、材木土壁に至るまで、文飾を止めた。
 
 この冥利につきることを祈念した。

  それなのにある日(辛丑)、官の内事があって、石翁の居を訪ね、その後に書を贈った。文に曰く。
 
 〔上略〕然らば、この間は罷出する処、相替ず、段々御懇命共、誠を以て忝く仕合せ、御座鋪も悉く拝見仕り、誠御都合感心仕りました。思し召しに寄り被る為となる御儀共と、誠に誠に感心仕りする御儀にございます。扠(さて)この御品を差し出すことも、甚だ以て赤面仕りますことも、若し御用にも相成りますならば有難く、態と御鮮相添え、〔下略〕
   十月廿六日
 
 この石翁の居はわしの近里なので、度々往訪するので、能く見ると奢侈(ぜいたく)を極めている。

 それなのにわしの粗朴を、書面のようになるのは、虚文か実意か、何を感心するのか訝しく思う。
 
 わしは故あってかの翁と懇交している。けれども、阿諛(あゆ、おべっか)願望等のことに於ける、一事一言云い為すことはない。

 唯公上(こうじょう、高位)の御安否は、直便りなので、しばしば問い奉った。

 ここらに目が着くのか。我が意を読んでいるのか解せない。

 また書にこの品と云うのは、刀架を、干し網の形に造りなして、そのつなぎは霞の象(かたち)を作り、千鳥の群れ飛ぶ状を、白木にて彫り作ったものである。

 頗る美しい物となっている。 

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