2023/06/22
続篇 巻之58 〔1〕 『本朝地震記』林子夜話に託す
その1辛卯(天保二年、1830年か)二月、林子が書に附して一小冊を見せて「この『地震記』は、京阪の人が見せてくれた。
『夜話』の巻に加えてくれないか」と云った。
また「この冊は八月初旬までの事を記してあるが、その後も地震が続き小さな揺れが止まらないという。
十二月廿八日はまた余程の揺れだった。
翌廿九日昼前とその夜人定頃と、両回前日に同じと、京人の書状を云って寄こした。
また賀茂季鷹が狂哥に、
震 優
大変を太平にする世なほしは、家をユツたり国もユツたり(『詩』の商頌。政敷優々。言う、人神の徳政和楽である)。
『本朝地震記』 全
この書ははじめに地震の諸説を挙げ、次に神武天皇より以来文政(1818〜1831年)まで凡そ二千五百年余りに間大地震の年月を記し、且つ文政寅年(戊寅1818年か)七月の地震の始末を記して、後世に残しておいて子孫の心得にもなる書である。
葉月のはじめ庵の柱によって、宝暦(1751〜1764年)のいにしえの地なゐ(地震)のその名残も忘れられかけているときけば、この度もいかにやいかにやと我も人もおじ畏れたので、
わずか三十日経ってややおだやかになったのは、げに四方の海なみ豊なる大御代の御いさお(功)尊くもあるかなと、
独り言いう折、柴の戸おして客(まろうど)が来て、その一言をこの巻の冠(はじめ)にかいてよという。
つまらないただ言かも知れない。
でも乞われるままに毫(ふで)とるものは
洛下隠士何がし誌