2020/08/22
巻之八十八 〈七〉 海亀の尾
藩士○川某。年若いときに領海生月島の沖で釣りをしていた。旭日の頃、その乗る舟の向こう五六十間に大亀が浮き出た。
見る中に沈み、またたびたび姿を見せる。その大きさ、甲羅の径り四五畳敷とも云うべく(その時見た人の魂消た様子からお察し下さい)、背の甲羅の文鮮明にした図の様に、尾毛があって赤い。日光を受けて海水に映り、いよいよその色は美しい。
亀の首の所は見分けがつかないと人に語っている。
『本草啓蒙』にある。海亀は海中に産する大亀である。
小さい物で二三尺、大きい物は丈余り。
甲羅は水亀と同じく六角の文が十三ある。
この甲羅の径り四五帖敷、背中の文は鮮明と云うのにあっている。
また尾毛のことは、同書緑毛げ亀の条に、本邦にも三五寸ばかりの大きさは、池沢流水中の、常亀と共に群遊す。
形は水亀と違わず。
ただ甲羅に黃斑があり、三寸ばかりの長さの細緑毛多く生え、水中を行くときは、甲羅の後ろになびいて尾の様である。
とすれば前に聴いたことは海中の緑毛亀か。
ただし赤毛と云えば、緑色に非ず。
今画者が描いた彩色を為すに、亀の尾毛ある物はみな、赤毛に金線が加わる。
すれば、この着色も関係あるものなのか。ちまたに聞くと、蓬莱山を亀が背負う処を描く者みな、これである。
唐土の緑毛亀は小さき物と見える。
前に四十二かんに出した、織田雲州の語った、わしも目撃した毛亀は、甲羅の背中にみな緑の毛があった。
わしは『啓蒙』にある様に認識している。
ただし、赤色金線があることはない。
『本綱』の所載はこの通り。緑毛亀は新州(これはまだ確認が出来てません🙇)の方で養殖する物で、谷川で自ら取り、水亀の中で畜す。
魚、飼うに魚、エビを以て。冬をこすに水を除けば久しく久しく毛が生える。
長さは四五寸。毛の中に金線がある。その大きさは、五銖銭のよう。他、亀も久しく養えばまた毛が生える。ただし、大きく金線はない。
『和漢三才図会』に並ぶ大抵の画工の図の亀は
、みな、長い毛があるが、緑毛の亀のよう。
本朝の望むものがある物である。蓋を久しくして畜うと毛が生える物ではなくなる。
尋常の水亀も、冬に土の中にいて、春に出るときは、甲羅に藻苔を被っている。
青緑色にして毛のよう。これを捕えて数々撫でても抜けない。
月経れば〜を例えるように、毛は落ちていくのが常のように。
だけれども、わしが目撃した物はなかなか脱毛する気配はない。
また以上の諸説を交えて考えると、海中の赤色の巨介なしと云うものではない。
思うに画家に伝わる蓬山を背負う亀は、蓋して(育てられた)赤毛の海亀が出たものだろう。