2020/04/27
巻之57 [4] 夜廻り拍子木の起り
夜廻り拍子木の起り〜夜中拍子木で時刻を撃つのは水戸義公に始まるらしい。前は夜廻りに撃っていたけど義公は、無益じゃ、やるなら時を打つべしと言いなったって。
せっかくだから続けようってことになり、風俗になったんだと。
松浦静山公の随筆「甲子夜話」を語りのお稽古として紐解いています。
2020/04/27
2020/05/04
古画にえがかれた婦人の深い笠の頂に高い形をしたものを被るのを多く見る。
これをいちめ笠というらしい。
またある人がいうには今も吉野の奥の木でつくる深笠をおちめ笠という。
なぜなら、乱世に平氏の人落ち行きて、この山中で製作するものならば、おちめ笠と云うではないか。
しかし、これは後の人間があと付けしたのであって、おちめいちめは語音の転訛である。
吉野にあるものは、古風なままで伝わっていくまでのことである。
2020/05/12
久昌(きゅうしょう)夫人(静山公のお祖母様)が仰せられた。
流行は移りかわるものであると。
わたくしが若いころは、劇場の女形役者が高い身分の奥方を真似ていたのもだった。
(ところが)今どきの高い身分の奥方は女形役者の真似をして、それを恥ずかしいと思うこともなく、さらに誇らしげに人前に出ている、と。
なるほど(そう仰せられてから)30年を超えた今も婦人の容貌風俗が様々に変わっていくさまは限りなしである。
2020/05/13
ある人は銭湯の辞を語る。
だれが云ったのだろうか。
雀は藪に入ってたけと叫び、鴬は谷を出て、うめよ!と云う。
(風呂では)あついとて、炙るわけではあるまい。
ぬるいとて、凍えるわけでもあるまい。とかくむつかしきは、ゆの中よ。
あかの他人を入れ混んで。
2020/05/15
仙台家中の酒宴には、飲み終わると盃を伏せるとのこと。
よって酒はここで止める様言って、客も同意すれば、亭主も盃を伏せる。
客の酒を固辞するにもまた伏せるという。
2020/05/17
ある者曰く。ある人のもとに出入りする大工がため息ついて話すことがあった。
吉原が焼け落ちた後(街を再建をするのに)、市中の腕利きの大工どもが争って銘々に建物を建てているという。
昔は、河原者の生業の家は建てないと、それなりに豊かな大工はやらなかった。
かねてより、楼閣に出入りする者がその家を建てていたが、今はかつてそこに出入りしていなかった者までが稼ぎ次第だとばかりに言っている。
利を貪る為ばかりでなく、何屋は誰が造ったと云うのをひろめている。
工人のやることもここまで頽廃したか、と。また劇場の造りも、いま昔は違うという言葉その通りなり。
たまたま、昔かたぎのむかし工人であった老人が云うには、むかしのやり方を守っていたらみる影もないほどに貧しくなってしまう、とのことだった。
※家造りは、どの大工はどの界隈と線引きされてお金目当ての競合がなかったものが、お金の為ならばこれまでの暗黙の了解など破っても当然と工人の在り方が崩れたことを嘆いているようです。正論を云っていたら、貧しくなるぞと老工人は嘆いている様です。
2020/05/17
ある人が林氏(江戸幕府大学頭 林述齋)に問いて持論を展開している。
今どきの武家の服だが、麻の上下、服紗小袖で事足ると思いませんか、と。
無駄な継の上下の縞小紋の服などという雑多なものが出回っていますが。
改革されたら、善政の1つになるでしょうに。
林氏は答えて云う。
言われることは至極だと思うがね。
しかしいつの世もそのようにはならないだろう。
既に京都人から出回り始めた直衣は、人々に受け入れられているし、狩衣の色ものはますます数多く出ていて人気がある。
武家の好みもまた同じことだ。(服に対する)人々の嗜好というものを理解しないと、幾ら論じてみても、(貴殿がおもう様に世の中は)動かないだろうね。
2020/05/18
蕉堂(安田蕉堂か)が話してくれた。長崎のある処に1人の医者がいた。
年60の時に妻を失った。
子弟、親戚は妾を持つように薦めて、老後のたすけにすればよいではないかと云った。
だが、(医者は)これをよしとしなかった。
妻でなければ、始終会えない、と。
だから、またあちこち周り、相応の年かさの婦人を探した。
(医者は)またよしとしなかった。
市中にて名主を勤める者の娘で、年は17になるのを家に置こうとしている。
子弟、親戚は誰もよしとしなかった。
だが、医者が云うには、ワシは必ず長生きするのだ。
今は17だが、晩節の介抱を得られるから、あえてその少女と添うのだ、と。
近隣の者たちはみな驚いた。
医者は老いてますます健やかで、116歳で亡くなったのは寿なさまである。
その時、あの17歳だった娘は73歳で(夫の)看病をしたが、ほどなく老疾病で亡くなった。
いかにも珍しいことである。
2020/05/22
注 現代の差別的表記が含まれますが、当時の味わいを活かす為に使用しています。
或る人たちが座談している中での話題。
御小人の某が酔って帰宅時に、夜たか蕎麦売りに逢い蕎麦を食べた。
(お金を払おうと)懐を探ると銭がない!云うには何とも申し訳ありません。
この通り何故か銭がないのです。しかし食い逃げをするつもりは全くありません。
後日払いますから、今日のところは赦していただきたいと頼むと、蕎麦屋も、仰ることはわかりました、貴方が云われる通りにして下さい、と応えた。
そのとき、路の傍らに乞食が寝転がりながら、聴きつけて、今のは黙っていられねえ。
あの身なりの者が銭がないとしても、金1步ばかりは所持すべきだ、と云っている。
それをタダ食いをさせて、代もとらないのであれば、おれ如きならず者には、なぜ、タダ食いをさせないのかいと云う。
蕎麦屋がなるほどと云えば、乞食は起き出して、かの男のあとをおいかけながら、食い逃げ!食い逃げ!といって、追いつき、男に抱きついて、刀を抜いて何処かへ逃げ去った。
その折、ちょうど盗賊改めの某が廻ってきて、この騒ぎを聞きつけ、乞食を組み止めて投げたら、刀が同心の足に当り、いささか手負ってしまった。
某の男(御小人)と同心の家来は近づき、乞食を縛りあげた。
11月下旬のことだという。この評判は良いの悪いのと云っても、まちまちであると聞こえてきそうだ。
2020/05/23
武田信玄の家人、兵助(姓氏失)という人が1日山路を行ったが、野狐が大入道になってやって来た。
お前さんの刀は刃切れして用たたずだと云う。
兵助は刃切れはあっても、武士の心中ははぎれしておらぬと、気にせずに行き過ぎたので妖狐もこの胆勇は恐ろしいと何事もなかったそうな。
2020/05/23
わしの領内に小値賀(おじか)というところがあるが、大きな嶋にしても3000石もない。
ここは蚊
しかも小さい。
だから普通の蚊帳を吊っでも
蚊は塩気を嫌うものだが、海嶋ではこれは論外。
またこの風土だから、蚊帳を吊るのは毎年4月8日より後になる。
それより前(に吊るとなると)蚊が多く出る年でさえ、奴らは息をひそませていなければならぬ(ワライ)。
2020/05/25
先年、早形糊(早く固まる糊か?)の作り方を何かの書から写して置いた。
小麦粉、葛粉、ミョウバン。
これを等分を水で練って用いる。
また絹に描くには葛粉を糊に練り、小麦粉、ミョウバンを入れて、すり合わせるのもよい。
2020/05/26
林(翁)曰く。
当地緖祝儀に貴賤関係なく用いる昆布、スルメはみだりに大きいものを好む。
その品が載る素木台も目立って大きいものを人々は立派だと思っている。
昆布は継いで白い粉をぬり、スルメも足など継ぎ合わせて作るのが常になっている。
いつの頃からこうなってしまったか。
どちらとも見た目ばかりで、口にすることは出来ぬ粗悪品である。
今年、京師女御再入内のスルメ、昆布が人から贈られるのを見て、如何にも殊勝な事としみじみ思った事よ。
流俗にこだわらぬものは、この様な法を学ぶべきだと。その形容を下に写し示す。
※京師は、京都のこと。邦家親王妃 1819〜1875、二条広子 1819〜1875、徳川貞子 1850〜1872のお妃さまが、入内した女御かと想われますが、どなたであるか、わかりませんでした。
2020/05/27
2020/06/03
2020/06/05
2020/06/09
2020/06/12
2020/06/22
2020/07/01
Author:百合の若
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