以前は薩摩に党を組んで男伊達をする士のへこ組があった。
その組は何かと云うと、この者達は僧が持戒の様に行状を守る。
まず夙に興て(朝早く起きて)書を会読し、夜は寝るまで指矢を射る、婦女に近づく事を禁じる。
もし途中、女に逢っても諦視すれば大いに咎めて自殺させる。
またこれを難ずる者は泡盛酒を多く飲ませ、酔い臥せた時枕を取り払えば、頭が低くなり即死す。
この様にして失約を罰し、幾年か期間が過ぎれば組を出て、平常の士行に戻る。
婦女を禁じるのはこの様であるといえども、男色を求めて美少年に随従し、ほとんど(美少年は)主人であると。ある人の話である。
またわしが聞いたものもこの類で、律僧の武勇を兼ねた様でという。
その一を云うなら、酒宴を設ける時、グルリと輪になって、人々の間を大きく空ける。
その中央に綱を下げて鳥銃(てっぽう)をくくりつけ、玉薬を込め、綱によりをかける。
どんどんつまっていくのを見て、火をさしながら綱を持つ手を離せば、綱はより戻ろうとしてくるくると回る内に銃の玉が発射する。
円坐する者は、元のままにいて逃げないし、その玉に当たっても怪我をしない。
人も哀れまずと云っている。
この様に狂勇を所業にして、偏った弁倫も乱れるので、栄翁老侯(薩摩守重豪)家督の時に、この徒党を禁じられ、へこ組は取り捨てとお触れが出た。
かの組の者共は、お触れを聞いて、議したが、「わが輩がこの様な事をするのは、心得がたき事である。武士道が立たず。党類ともに死して義をあらわさん」と云われた。
その党魁の某が云うには「いゆいや、お取り捨てとあれば、わが党が糞土畜獣となります。今、これを改めなければ、還って武士道に背き、いよいよ糞土の類とされるのも恥であるので、乃ちこれを弊廃いたしました」と云った。
わしは嘗て密かに図工にその容体を図にした。
頭は糸鬢(いとびん、耳辺りの髪の毛)で、衣の丈は短く膝より上にあり、刀は長く四尺ばかりと見えて、脇差は短く一尺余りか。
これで首を掻くのだろう。
これを以てしても、その人の気性は思いやりたし。
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