巻之一 〈一九〉遊女七越の話し

わしが若い時に吉原町に住む三線弾きを生業にする萩江源蔵がいた。

その生涯はここまで恥入ることはないと、語り始めた。

そのころ七越(ななごし)という名高い娼妓の禿童であったころ、殊の外いやしい気性であったので、源蔵に云った。

「お前はまだ幼いけれども、後々今のようであってはいけないよ。大人になったら大夫傾城といわれるようになるんだよ。さもなくば、何れどこかで落ち葉のようになってしまうよ。もし、幸いに名のある大夫になったら、その時はわたくしに仕着せを贈るのだよ。今よりきっと約し置くよ」と戒めた。


その時より(残念にも)、源蔵はなおざりに打ち過ぎて、ニ三年も経った。

ある時この婦を養い置く扇屋から、源蔵に来るよう知らせがあった。

源蔵は三線のことだろうと行くとそうではなくて、かの両三年前禿童だった時の(主人とも師匠とも言える)婦の突き出しといって新たに大夫女郎となり、七越と名乗り、その開筵の日であった。

その席に入ると、灯りを列ね、毛氈を敷き、娼妓雛がずらりと並んでいた。

七越は上座より源蔵を呼べば、源蔵はその座敷の様を見て、覚えずひれ伏した。

その時七越は両手をついて、慎んで申した。

「両三年前御戒めを蒙り、深くかたじけなく思いながら年月を忘れておりましたが、今日この様な身と成りました。かねて約し置いた仕着せは今日、上がります。着してこの筵を賀し給わります」と云って、蒔絵の広蓋につんだ物を持ち出した。


源蔵が見ると、上衣より下衣、襦袢、帯、袴、扇までも、残なく具している。

その上、七越の紋をさえ染め出している。

源蔵は思わずあっとひれ伏し、前言を懺悔して、地を掘って(穴に)入りたくあった。

が、その席を去るべくもなく、是非なくその夜は周旋して居たという。

この様な徒にも信を違わざるものがある。いわんや婦女の身にして、ますます珍しいことである。またその恥入るべきものも、その生業の輩にはとるべき心であろう。

世の士君子、これを聞いて恥に堪えざる者、多かろう。


(注)

源蔵は幼い禿童のころから卑しい性根で、七越に「今のままではいけないよ。精進して七越が大夫女郎になったら、衣装から扇を贈れる器量のある大夫になるんだよ」というのです。ところが馬耳東風だったんですね。七越が出世して源蔵は呼ばれます。七越は源蔵にあつらえてもらったんだといい、源蔵の立場を思いやります。そこで初めて源蔵は、恥ずかしい我が身を思いますが、すぐに忘れてその場で自分の三線の営業をするという話。静山さんは、こんな輩はおらんかな?と私達に呼びかけてはります。



巻之一 24 忠義の狐物語り

これは昔のことぞ。
正(まさ)しく物語といえる。
羽州秋田に何か狐がおった。
人によくなれてね、またよく走んだよ。
そいで秋田侯の身内の人が文を狐に託したんだね。
首にまとったら、江戸に行くんだよ。
速っこくて、またよく役に立ってくれたんだわ。
ある時、パタッと文が来なくなったの。
人々はどしたんだろうねって、探したの。
探して探したの。
大雪に傷ついたらしくて、雪に埋もれていたんだと。
普の陸機の犬の故事に似てんだわ。

(注)陸機の犬: 中国三国時代の後の普の時代に、陸遜の孫の陸機がかわいがっていた犬の話し。遠い所に犬が手紙を届けたりしたという。

巻之一 28 奥御医師

前にね、大屋木伝庵という奥御医師の知り合いがいたの。
丈けは低く、肥満のね、豪気な男だった。
その頃、ある侯が病を得てね、老職が「侯の病はどんなだね。どんな治し方をするね?」と跡目願書を書いたんだわ。
けど、この人にはいかがわしい噂もあってね。
「病のこといよいよ間違ってはおらぬか」と問われた伝庵は色をなして答えたんだよ。
「奥御医師を勤め候わば、これより間違いは申さず。御尋ねの方々こそ、却っていかがであり候わか?」と申せば、老職いずれも黙ってしまわれたと。

巻之一 〈21〉 本庄辺りの 社のそばにかけた絵馬

徳廟(今はなき上様、何代かは不明)が本庄辺りに御成のときの話。

社を通られ、境内を歩かれた。

社のそばにかけた絵馬を御覧になり、「あれはよい句じゃ。何人が仕たるぞ?名は柏筵(はくえん)とあるが」と聞かれた。

小姓どもは「誰であるか、弁じられません」と答え奉った。

そのとき、「これは名高き市川団十郎と云う役者よ。汝らは知らぬのか」と仰せられた。


そこにいた者たちは、「何事もご承知であられる」と畏れ入ったとな。

巻之一 〈22〉 幼い将軍の書のお話

明廟(前の話の将軍の次の将軍)がお幼くあられたとき、大御所のおそばで、草体の龍字を大きく伸び伸びと書かれていた。

字体が大きいので紙からあふれる筆の勢いだった。

大御所は「いかがあろうか」とご覧になっていた。

果たして点を打つべき空白がない。

終わりの一点を畳にしたたかに点を書かれたという。

「おお、天下に知らし給う若君なり」と大御所はご満悦であられたと。

巻之ニ 41 善人な商人の話し

大阪に鴻池伊助という富んだ商人がいる。
 学や文才は今ひとつだが、心は天が与え給うた善人である。 
一年子を失ったときは人が代わる代わる来ては「陰徳のあるあなたがどうしてこの様な事に遭われるのでしょう」と言うと、伊助はこう申した。 
「私が不徳の者であるのは言うまでもありませぬ。
 世にすぐれた好い人でも果報あしき目に遭われるのは珍しくありませぬ。
 善事を為せば天が善報をなす。 
悪もまた悪報になると言うのは定まりの理であろう。 
だが、善をなしとも不幸せな者もおる。 
悪もそうとばかりに天が責任をとらすことがないこともある。 
これは天の間違いである。 
だが、何事も間違いを当てにしてはならないので、ただただ定まる理を守るべきではないか」。
 この人は塙險校と懇意にしていて、塙が多くの書を買ったり種々の書を彫刻する費用など、常に力になっている。 
金数は少なからずな事だけれども、いささかも厭う色はない。 
塙は、その家内が困難になるので、 また助力して欲しいという。
総て人が善い事を行うことに、金銀を費やすのを露塵いとう心がなくて、必ず力を合わせよというが。
 商家にはまれなものである。

巻之三 〈3〉 ちゃぼ

岸和田の岡部氏。
今より三四代前の主人は殊の外鶏を好み、数百番を畜産していた。
その中から羽毛が違う種が往々出てきた。
世にいう浅黄チャボである。
さん(黲:黒に参と書き、暗い太陽色)素色はその家から新たに出た種だという。
別に一種を出して、今はどこにもあるものになった。

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