2020/12/13
巻之六 〈37〉 婦人の衣装(帽子)流行りすたりに思うこと
わしが若年の頃までは、何れな奥の女が外出するに、総じて帽子を戴いていた。相互に縁のある家の夫人は年始その他の往来にも、侍女が付き従う者はみなこれを冒(かぶ)っていた。
晴れた時も当然だった。
その頃は今と違い、所々の奥方は芝居場にも構いなく行くので、その供として従う者は、みな帽子をして桟敷に並んで座る体(てい)だった。
また郊外の野遊びのときも同じだった。
俳諧の発句に、
奥方と見えて帽子の野がけ哉(本文ママ)
という句があった。
その時のありさまを知ってほしい。
これは武家のみならず、町人も立派な輩は、晴れの時に帽子を用いた。
それゆえ、今帯解き(七歳の少女が子ども用の帯を解いて婦人用の帯を締める)の祝儀でも、霜月(11月)に少女が社詣でをする時、必ず帽子を冒る。
これだけ世に遺って、武家の女中も貴家と誰も用いず。
もちろん、小侯、御旗本衆の婦女も絶えてその体を見ない。
最どうしようもないものは、十年前より手巾(手ぬぐいの類)を冒って往来するのだ。
商家、農婦などはさもあるべき。
士人の婦女も往々その体を見る。
殊に甚だしいのは、何れかに宮仕えの女が宿下がりと覚しき体の者で、総模様の衣服を着て天晴(立派だが皮肉が込められているか)な屋敷の女中の容体であるが、頭に木綿の手巾を冒っていた。
洋装する人が冠を戴き、烏帽子を着て裸体である者がいたら、どんなに人々は笑うか。
浅ましい風俗ではないか。
だからわしは、かの帽子を冒る妾婢を連れて歩きたくないと思うが、世間に対して異なることを好むと人から見えないだろうか。
また古癖好みとならんか。
是非なくその事を遂げる世の中に成ってしまった。