雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年
水雲問答(36) 勤(つと)むるは善雲:
人生は勤むるに成(なり)て、怠るに敗るることは申すまでも之れ無く候へども、勤むるは善きと知りながら、怠り易き者に之有り候。且(かつ)識(し)ればいつにても出来る迚(とて)、勤に怠り申す類毎々(つねづね)有り候。天下一日万機に候まま、日新の徳ならで叶なわざることに候。小人の志を得申候も、多くは此処(ここ)より出申候。力(つとむれば)能く貧に勝つと申す古語、面白きやに存じ申候。 聊(いささか)のことながら大事に存候。
(訳)
人生は勤むる(努力する)ものが成功し、怠ける者が敗れるというのは申すまでもありません。しかし勤める(勤勉に努力する)のが善であると知りながら、人は怠りやすいものです。また、そんなことは知っているからいつでも出来ると思い、努力を怠ることがよくあります。しかし天下のことはたった一日でいろいろなことがおこり、何時何が起るかわかりません。日新(日に新たに)の心がけでなければ叶わないものでしょう。小人(つまらない者)でも志しを得るのは、ここから出ます。努力をすれば貧に勝という古語は大変良い(面白い)言葉と思います。些細なことのようですが大変大事なことと思います。
(コメント)
・日新の徳・・・「苟(まこと)に日に新たに、日々に新たにして又日に新たなり」(大学)
・力(つとむれば)能く貧に勝つ・・・「力むれば能く貧に勝ち、慎めば能く害に勝ち、謹ねば能く禍に勝ち、戒むれば能く災に勝つ」(説苑:ぜいえん)
水:
いつも出来る迚(とて)為(せ)ぬは、学人の通幣に多き者に候。小人栖々(せいせい)として勤め、それが為に苦しめられ候こと、昔も今も同様に候。鶏鳴而起、孳々(じじ)として善を為すは切近のこと候へども、余り手近過て知れたることよ迚、空く光陰を送り候こと、我人ともに警(いまし)むべきの第一たるは勿論に候。貴人、尚更勤(つとめ)ぬ者に候。此くの如きご工夫面白く存候。
(訳)
いつも出来るからといって行わないのは、学問をする人のよくある悪いくせです。小人(世間一般の人)がこせこせと勤め(努力し)て、その事によって苦しんでいることは、昔も今も変りません。鶏鳴而起(鶏が鳴く声を聞いて起きる)、孳々(じじ:努力し励む)として善を為すということは誰にでも切実なことですが、あまり手近か過ぎて、わかりきったことだとして、うかうかと時を過ごしてしまいます。これは私も含めお互いに注意をしなければならない(いましめるべき)第一です。またこれは地位が上の人ほど努力しません。このような工夫のご意見は面白く(良いと)思います。
(コメント)
・鶏鳴而起、孳々(じじ)として善を為す:これは孟子の言葉です。
孟子曰、
雞鳴而起、孳孳為善者、舜之徒也。
雞鳴而起、孳孳為利者、蹠之徒也。
欲知舜與蹠之分、無他。利與善之閒也。
(鷄が鳴くと起き、勤勉に善をなす者は聖人(舜)の徒である。
鷄が鳴くと起き、せっせと利益の為に行動する者は蹠(せき:足の裏=盗人)徒である。
この舜と蹠との違いを知ろうと思えば、ほかでもない、目的が利害であるか、善であるかを知ればよい。)