巻之61 〈2〉 田家(でんか、田舎の家)の松錺(かざ)り

林子曰く。

某の内の婢に相州生まれの者両人いた。

この正月いまだ都下の松錺りを見ていないと、1日の暇を乞いて所々見物した。

帰って江都の松錺りはさぞ大造りなる物だとかねて思い計っていたが、案に違って見所が無いことよと云ったと人伝えに聞いた。

田家の松錺りを委しく尋ねさせたが、各々力を極めて大きく造り、錺り付ける物もとても念入りな仕方だったという。

都下佐賀侯〈鍋島氏〉の松錺りなどよりは遥かに見優れた物だと云う。

これは初めて聞いたことで、左まで田家の松錺りがよいものだとは今まで知らなかった。

花火と松錺りは、鄙風の都俗にまさることを心得るべきことであると〈花火のこと第14巻に見える〉。

水雲問答(62) 己一人の才を展すとき、蹉跌して事をなすこと能はず

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答(62) 己一人の才を展すとき、蹉跌して事をなすこと能はず

雲:
 事は十分に参らず、苦みて居候中こそ却て面白き所と存申候。我十分は最早(もはや)後は陥阱(かんせい)に候。故に古人ことをなし候に、自分の上に1箇の人あるがゆゑに、己が才を展(のば)すこと能はず。半は出来、半は出来ずして、歎息すると雖ども、理を観るの明ならざるが故なり。其人去て己一人の才を展すとき、蹉跌(さてつ)して事をなすこと能はず、却(かへつ)て後悔するに至る。邵子(せうし)の落便宜は得便空、大におもしろく存候。

(訳)
 事を十分満足に為すことができず、苦しみながら部屋に籠もっている時こそ、かえって面白いものでございます。自分としては十分に出来て、後もう少しで完成という時に、落とし穴にはまることがあります。故に、昔の人が事を行おうとするときに、自分の上に一人の上役が居ると、自分の才能を十分発揮することが出来ず、半分できても残り半分が出来ないため、ため息をついてみてもこれ理を見るより明らかなことでしょう。しかし、その上の人間が去って、さて、自分ひとりになってこんどは十分に自分の才能を発揮できるようになると、今度は途中でつまづいて諦めることはできず、却って一人になったことを後悔します。
邵子(せうし:易を受けついで一派の哲理を考へ出した人)の「便宜に落ちるは、便空を得る」という言葉はとても面白いと存じます。

水:
 憂患に生じて安便に死する、則この意思に候。己(おの)が才を展尽することを得ず歎息するは、理を見るの明ならずと申ご論、殊の外面白きことにて、ご工夫の精細感心仕候。己の才を十分に展するに至て、蹉跌するのことを予(あらかじ)め仕おり候人は、多くは有るまじく、都(すべ)てこと敗て後に悔る計(ばかり)の者に候。此一条はご体認の実論にして、甚感銘仕候。

(訳)
 これは、孟子が「憂患に生じて安便に死する」(人は心配事がある時は心をいため、命を守る努力をするが、憂いがなくなると心がゆるみ、思わぬ死を招くこともあるということ)という言葉がありますが、すなわちこれと同じ心です。自分の才能を伸ばし尽くすことが出来ないことを嘆くのは理を見るより明らかであるという御意見はことのほか面白く、その言葉の工夫の細心さに関心致しました。自分の才能を十分に伸ばせるようになると、途中で挫折することをあらかじめ考える人は多くはいないでしょう。普通は、すべて行って失敗して後にそれを悔いるばかりのものしか居りません。この一条は貴方の実際の体験からの実論で、大変感銘いたしました。

水雲問答(63) 大事は独断ならねば出来ず

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答(63) 大事は独断ならねば出来ず

雲:
 韓非の独断は、事に害あることども多く候へども、大事は独断ならねば出来申さず候。独断甚面白く候。謝公の雅量にて独断大得手と存候。安穏中より出申す独断ならざれば、人背き申候哉に存候。

(訳)
 韓非(かんぴ:韓非子・・・中国戦国時代の思想家で、君主に権力を集中し法の支配で乱れを統一するという法重視の考え方をした)は独断でことを行い、この事が害をなしたことも多くありますが、大事を行うには独断でなければ実行できません。この独断は大変面白くおもいます。これは昔を懐かしんでいる人(謝公)のおおらかな考え方で、独断は大得意と思います。もし、この独断が心が落ち着いた状態から出されたもの出なければ、人はこれに背くことでしょう。

水:
 独断は、人主と大臣の上にては欠くべからざるのことに候へども、諸侯の上にして申たる時、独断のこと、一生中に成しおほせたるときはよし。代替になり候て、前代の独断大に害を成し、其ことを必ず替へざれば叶はぬこと出来、或は強(しい)て行へば、立意違ふて黒白相変ずることにも至るゆゑ、始(はじめ)思付たること、何年にて成と算して取かかるべし。大臣も我身に為し負せず、人に渡すときは直に別事となるべし。因て永久に渉(わた)らざる一時の大事は独断して、数十年を渉るべきのことは衆議を用ふべし。

(訳)
 独断は、一番上に立つ人主と、また大臣などにとっては欠くことのできないことです。しかし、諸侯に対して独断で命令するときに、その内容が、その命を下した主の代に成し遂げられればよいが、もし代が替わってしまうと、その独断が大きな害となり、独断の内容を変えざるを得なくなります。もしこれを強いて実行しようとすると、最初の考えとは黒白違ってしまうことにもなるでしょう。初めに思いついた考えは、何年でできるかを計算して取り掛かるべきです。大臣も自分自身でで成し遂げることが出来ず、他の人に任せるときは別なこととすべきです。永久に続くものでない一時の事は独断で行い、数十年に渡る問題には皆で衆議して決めるべきでしょう。

巻之14 〈11〉

ある人曰く。

火災の時に御城門の渡り櫓が延焼するのは、常に棲まる鴿(どばと)の糞が火を引く故にと云う。

実であるか否か。

巻之14 〈10〉 花火

方今都下の繁盛何事も余国は及ばない。

遊戯の事はなおさらである。
ただし煙火戯(はなび)のみは他国の方遥かに優れる。

都下は火厳禁であり、花火商売の者には定制(一定の決まり)を立てられるので、大きいことは為すことは出来ない。
都人が今普通の花火を大造(たいそう)なものだと思うのは井蛙の見方である。

国々で様々異同もあっても、近頃相州(相模国)で豪民等が催すのを見た物語を聞くと、(その花火の種は)富士の巻狩り、大名行列、新吉原中の町の夜景、その他数種である。

大凡(おおよそ)その幅10間位の処へかねて仕掛けて置いて、人が寄らないようにして、夜に入り人を集めて、竹の欄干などをして人が近付かないように設けて火をさすとのこと。

譬(たと)えば富士の巻狩りだと、古松の数丈のものに旭日の仕掛けをして、それから山形が現れ、その麓に人馬諸獣疾走の様子を幻出する巧思、驚き入る計の由。その余はこれを以て類推するように。

火禁無きなので限りも無く大造に巧を竭(つく)し設けるとのこと。
また林叟の話。

巻之14 〈12〉 太田猪兵衛

姫路酒井家の老臣に、近頃太田猪兵衛がいる。
林の門である。

その祖は、忠清雅楽頭(うたのかみ)の時に、児(ちご)小姓で齢僅か15、6歳、振り袖で勤めた折から、世人が知る伊達家の諸士、かの邸で騒動に及んだとき、原田甲斐が血刀を振って奥の方へ切り込んだのを、太田はその所へふと行き掛かり、甲斐を討ち留めたと云う。

これに因んで忠清は取り立てられ、遂に家老となって、その子孫は世職となったという。
その頃の風俗児小姓さえもこの様に気(け)なげなることであると〈林話す〉。

続篇 巻之2 〈3〉 宝井其角の文

また(用韜〈林皇+光の字〉、この人物は調べ不可能)曰く。近頃屋代が賢示したと、冠山老人が写した古文の中、俳人其角(1661〜1707 江戸時代の俳諧師)が手札に種々のことを箇条書きにした一通のその末条に、

一糀町長門馬場のかど堀小四郎(堀利堅、生年不詳〜1864、江戸時代後期の幕臣)殿へ御寄り合い也。
この屋敷に化け物が出候うて、隣りも折々参候う。
大坊主は目が一つ、右客でもこれが有り候う。
賑やかであると、猶(なお)出候うもよし。

3月10日            其角
   柴  礼  様

いかにも珍しく可笑(おか)しいことである。
堀氏は今もその称で妹婿である。
居所は赤坂御門の内ゆえ、今は世に赤坂とのみ唱えるけれども、昔はこの辺りをもやはり長門馬場と呼ぶと聞こえてくる。
長門は、今は永田と更(か)う。
100年を過ぎればこの様なことも違うもの奈梨(なり)〈林曰く〉。

水雲問答(64) 姦才ある者の起用

雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主
水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年

水雲問答(64) 姦才ある者の起用

運:
 人才を使(つかひ)申候に、姦才ある者を用(もちひ)候ほどこわき者はなく候。然かも才有る者は用ひざれば事成り申さず、□が了見には、その人の才□の使ひおほせ候と見切候はば使ひ申すべく、見切申さず候はば、擯斥(ひんせき)いたし候が宜しくと存候。使ひおほせ申と存誤られ候こと、古今歴々と相見へ申候。恐るべきのことに候。晋(しん)の文が鐘会(しょうくわい)を使ひ、斉(せい)の蕭道成(しょう どうせい)が沈攸之(しんゆうし)を使ひ申候は、姦雄だけ姦才の用ひ方、格別に候と概歎仕候。

(訳)
 人材の起用ということについて、悪知恵の有るずるがしこい人を用いるほど怖いものはありません。しかも才能の有る人を用いなければ大概の事は成し遂げることが出来ません。私が考えるところ、その人の持っている才能を使いこなせるのか、または見切ってしまうことが出来るのかを判断して使うべきでしょう。見切らなければ排除することがよろしいと思います。使えないのに、使うことが出来ると誤って使ってしまうことは、今も昔もよくその歴史が教えてくれます。これは大変恐ろしいことでございます。晋(しん)の文公が、野心家の鐘会(しょうかい)を使ったこと、斉(せい)の蕭道成(しょう どうせい)が沈攸之(しんゆうし)を使ったことなど、これはずるがしこい勇者には、ずるがしこい人を使うことが出来るという特別な用い方があると思われます。これは概歎(がいたん:うれいなげく)しています。

水:
 昔より姦才を用ひて誤しこと、例多きは申に及ばず。今の世にさへ、某はくせ者なれど、我は使ひおほせん迚(とて)、夫が為に誤られ候者比比(しばしば)絶ず。見切て擯斥(ひんせき)至当のことに候へども、今世禄の人、喩へば我が手にて擯斥する時は、人の手を仮(か)りて出づ。其害我用るに超(こえ)たること有り。茲(ここ)に至りて何(い)かんとも為し難き勢あり。此所置の工夫なし。如々何々。

(訳)
 昔からずるがしこい人間を用いて誤った例は数多くあります。今の世でさえ、あの人間はくせ者であるが、使いこなすことが出来るといって、それが失敗であったということはしばしばあり、それが無くなることもまたありません。見切ってその人間を排除することは至極尤もですが、今の世襲で受継いでいる人々、例えば、自分の手で排斥する時は、自ら行わず人の手を借りて命令を出す。するとその害が自分の領分を超えることがあります。そうなりますと、どうにも手の下しようが無くなってしまう場合があります。このような事の手当てをどのようにするかの工夫が必要です。如何でしょうか。

続篇 巻之2 〈4〉 盛岡侯のこと

奥の盛岡侯〈南部信濃守利済、なんぶとしただ、1797〜1855。2度(1547年と1854年)三閉伊一揆が勃発した。2度目の一揆の後に江戸屋敷で蟄居を命じられた〉は、近代打ち続く不幸のため、以前退身の嫡子信州と称する人の子で僧になったのを還俗して家督を継いだ。

僧だったときに、わしの隠荘北隣福厳寺と云う曹洞禅の法眷なので、今の福厳住持のその行実をよく知る。
その侯は、家を継いだ始めに諸臣の兵具を問いただした。
武器不足する者は、総て補い與えよと。
また帰俗の後もとかく以前の禅機を持して、戒行厳粛であると。
またこの度津軽侯は、逼塞(ひっそく、江戸時代武士や僧侶に科された刑罰)を仰出されたときに、家臣に命じられたのは、

「汝輩も知る通り、かの侯はもと我が家臣であったが、諸侯に列するのは天幸である。今計らずも恥辱を蒙るのは、憐れむこと甚だしきである。かの逼塞中は我が内の者どもは尤も穏便であってくれるよう。これは旧を念う厚情である」と。

聞く者はその徳意に感じ入るばかりであった。

続篇 巻之2 〈5〉 世に名高い大男子

ある日一儒と話したとき、わしは「近頃の世に名高き大男子は如何なることか」と問うた。

答えに
「当年は大物が出る運にございます。この春加州(加賀国)より内献上があり、薯蕷(ジネンジョウ、とろろ)と云って長さ2丈(6米㍍程)、囲い2尺5寸(75㌢程)と云います〈因みに云うと、金沢城に常に開かざる矢倉(城郭に備え付けられた防御施設)があるが、あるときことがあって日開かれた。内に鷹が木にとまっていた。人が視るに、いつのものかは知らず、枯れて乾いているが、形は生きている様だったと。遂に内聴に達したので、御内覧にことは及び、薯蕷はこれと共に内献上があったという〉」。

また同春に阿州(千葉県南部)の海浜に大鳥が来て居た。
大きさは山の様で、人はみな仰ぎのぞんだ。
6日程留まり、遂に去った。

人はその跡を見て、跖(セキ、足の裏)3尺(90㌢程、爪痕を除いて)とのこと。
未だ何鳥なのかを知らず〈この話は、栗山ののち阿州にある士、侯に随って来て云う所と〉。

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