2021/06/03
続篇 巻之61 〔7〕 通詞に起こった
今年(辛卯)長崎から紅毛の貢ぎ物を護して出府した小通詞(通訳)今村猶四郎、年は50,わが荘に知るべ(知り合い)の者があったので来て言う。「某(それがし)は1両年前に養子を迎えました。今17の年の者でございます。某常に戒められるのは、通詞というものは俊才で蛮学に通達することを好まれます。ただ通訳をよくして、御規定の旨を弁ずれば事足りるのです。既に高橋騒ぎのとき、罪を問われ諸家へ御預かりとなった、馬場為八、吉雄忠二、稲部作十などの輩は、みな蛮人の旨を得た学俊の者でしたが、却ってその死が疑わしいのです。それならば職業をこそ保護して、必ずしも俊才でなくとも良いのではないかと」。
聞く者はもっともだと嘆いた。
また2,30年まえに、通詞名村恵助なる者がは、御禁制なる蛮国通路の旨に背いたので、長崎に於いて磔罪に行われたとのこと。