巻之28 〔1〕 長刀を敵の何処に向けるか~戦にも作法あり 

神祖(家康公)が、遠州袋井縄手で御鹿狩りをなさる時、御徒士(おかち)に伏見彦大夫と云うものがいた。
その者は三尺余りの長刀を帯していたが、神祖は、「その刀はいかに使うのか」と仰せられた。
彦大夫が答えるには「敵の脚を薙ぎ払います」と。
上意(家康公)は、「甲冑する敵にこの様(ガードのない脚に向けて使う)にするのはふさわしくなかろう。
鎧に向けて使うものではないか。
これ(長刀)はつくのがよろしかろう」とのこと。 

実に尊い御思慮であるといえる。
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巻之28 〔2〕 軍令に背き者を許した義元

 戦場物見の者が、途中敵に逢っても討ちとらぬのが軍法である。
それなのに今川義元の士(名を忘れ)が物見に往き、敵に出会って、戦い首を取った。
これは軍令に背いたことなので。
帰って一首の歌を首に添えて出した。

 刈かやの身にしむ色はなけれども
     見てすみがたき露の下帯

義元はこれを見て、違法の罪をゆるしたと云う。

巻之59 〔21〕 死してこの世に思いを遺した後は

 幽霊と云う者は、全く虚言ではない。
わしの20歳になる侍妾が初夏の頃から病になり臥していたが月を越して危篤となった。
その母は憂て、宿下がりを請うたので、その願いのままに臥してはいたが家に帰した。
そうして空しくなった。
不憫に思ったわしは、有りし日々の事を側の者に常に語りかけていた。
両3日を経て、寝所に寝ようとする頃、その常々出入りする所から幻のようにその姿があった。
弓矢を立て置いた前に至りその姿は消えてしまった。
また仲冬の事である。
いつも親しく召し使っていた茶道の者が熱を患い死んでしまった。
これも不憫に思うままに、その17日に香火の料などを孤児に与えた。
その前日だったか募碣(ぼけつ、墓のしるしの石)の事などを左右(に侍る家来の者)に命じた。
また彼が企てて置いた園中の経営の半途になった事々をも程々に成就させmその志を成し遂げさせた。
その翌夜の晩、面座敷にて仮睡していたが、生前のようにその名を云って、某侯仕上げますと云うので、何意なく応えた。
‘この程庭造りの御事を夫々(それぞれ)に成し遂げて下され、悉く御礼申し上げます。
これにては病没しても恨む所ございません。
これよりは御寿命を祈り申し上げますと云った。

この時夢うつつだったかと心ついた。
これも我が心の為す所か。そもそも人魂は来るのだろうか。

三篇 巻之8 〔2〕 鬼神が導き給うた

人の世にあって物事を行うのは、みな鬼神の導きたもうことと知るべきである。
善に赴くも悪しきに陥るも、その初めは鬼神の善きに導き給うを、己が人の欲にひかれてあらぬ道に赴くのである。

わしがかつて思い切ったと思う事も、今よく考えると、何れとも鬼神の戒め給うた事によるものだと思うのだ。
その頃は肩を並べて権威があったと思える者も、末は俄かに沈下し、再び盛り返し時めくのを観ると、如何ばかりかその間の困苦は云うばかりの事だ。

吾等の如きは、一端の無念愁恨は限りなしであろうから、歳月を思い返すに、世の移り変わりを見聞きするにつけても、我などはさぞや凌辱を蒙るだろう。
誹りや嘲りに与(あずか)るほどだろうと思うと、世外の身など寸志の奉公、祖先への孝志も出来るものだし、これこそ天命を楽むとも思えよう。

それにつけても、不義にして富など聞こえてくのるも、恐れるは人の上であった。

三篇 巻之8 〔4〕  日野大納言の家系あれこれ

7月の末、麻布十番と云う所に能の稽古を見に往った。
そこで『檀風』があった。それには日野大納言資朝卿の話と云う。
この人は今の日野大納言資愛卿の先祖にして、後醍醐帝の北条氏を亡ぼし給うた事が露顕してこの如し抔(など)云うそうな。
肥州(静山公の御子息)が物語るには、今の資愛亜相は、無病の質で、これまで院参を1日も休まれたことはないと。

さて京都にて参内院参等のことを聞くと、大抵出仕の刻限八ッ時七ッ頃(午後2~6時頃)で、退散は夜九ッ(午前零時)、または過ぎることもある。
関白殿の出陣もこの如しだという。
けれどもその刻限を称するには、朝は巳刻(午前10時)出仕などいうぞ。

総じて節会(朝廷で節日など帝のもとに臣を集めて行われた宴会)などももちろん夜に入ることになったと。
わしは問うた。「ならば鶏は闘うか」と。
「夜分になれば鶏も目が見えないので、ただコッコッとのみ鳴くばかりか、一咲(ひとわらい、咲うはわらうと読む)するものですよ。すべて東武と違って悠長なることもありますよ」と応えた。

『知識拙記』を閲覧すると、日野の鼻祖(びそ、元祖)真夏より17世にして俊光あり。
権大納言。その子を資名とする。また権大納言。この後系資愛卿であると。
『太平記系図』に云う。
日野中納言資朝は、権大納言俊光卿の次男、従三位文章博士権中納言と。
すると日野の世系にして、支家であると。
また資朝文章博士ならば、高時の不道不義を討つ首謀なのも、最も宜(うべ)なるかや。
資愛卿、並び姉小路、中山はみな淇園の門人。
今この三氏はともに縁家となるも、不思議なことである。

続篇 巻之28 〔15〕 虚談か奇怪な話

 この頃のある人の咄である。
3月の大火の前々日のこと、その時火元のあたりで2寸(6㌢)ばかりの火魂が降ったという。
翌日もまた落ちてその辺りの地上を転がっていたのを小児らは面白がって追っていたという。 
それから天に上っていたが、次の日に例の風火となった。

 虚談なのか。
如何にも奇怪である。
官医茂木玄隆の話である。

 また越侯の海辺の邸では女婢が多く焼死したことは虚談と云う人があるが、さも云われぬのは、翌月21日に、侯の邸にて大施餓鬼があって、何か亡霊を吊るさまであったと。

 すると思い合わさる事があるような。
観世新九郎の目撃の話。

三篇 巻之28 〔16〕 火事後の御救小屋のあれこれ

ある会談でのこと。
この度の火事場の御救小屋は、予め2月と期限が決められていた。
つまり期限が満ちると官は引き払うと云う。
この度は多くの奇遇の者より願い出があって、期日には小屋を出て行ったという。
その故は食事は下さる、店賃とて出さず、小商いはする、貯えも溜り、人にもよるが大抵20金余りずつの元手が出来た。
それでこれにて商売にありつこう、または店を借りようと云い合って、このようになったと。
わしも5月の26日芝辺りに往き、御救小屋のあった辺りに行った。
はや1両日前に取り払ったと小屋場は掃き地となっていた。
またある人曰く。御救小屋はの官より支払われたこの御入用は1日700両ずつという。
ならば2ヶ月で42000両である。官の御入用にしては少ないようであるが、このように人命を救うは御仁恵の厚きことである。
これは別事であるが、この御救小屋が建って、人は競うように入り来るとき、本郷あたりの者で、家内を連れて来た。
これは焼き出されたのではなく、ただ食いに忍んで来たのである。
これは露見して追い払いになったと。

続篇 巻之16 〔21〕 黒蝶は人の魂と縁あるものか

 世に謂う揚羽蝶と唱える大きな蝶がある。
黒色に碧をまじえ、羽の端に赤点がある。
前編第10巻に載せた、陽関の神(張飛)の為に、成都の妓霞卿がとらわれて、後黒蝶となって、その故に夫王延鎬の所にしばしば来たのは、人魂の蝶になったことであったと。

 この頃聞いた事である。
文晁の写山楼に一黒蝶が来て、いつとなく馴れて、集会の席にも飛び入ってきて、文晁が盃を持つと指頭に止まり、盃の酒を嘗めて去ることが時々あると。これも人魂に似ている。

 またわしは思うに、死者あるいは旧鬼に感じ入る事があれば、時として黒蝶は必ず来て、屋中を翻々して去る。
これは野外園中の者ではないからといえないだろうか。

 また『啓蒙』に載っているが、蝶の漢名を鬼車、鬼蛺(蛺 きょう、蝶類の総称)とも云う。

 また黒色の蝶を上総の名に「ジゴクチョウチョ、原文ヂゴクテフテフ」と云うなど、漢名を黒蛺蝶(桂海『虞衡志』)に為しているが、何か人の魂に縁があるのではと思う。

巻之16 〔17〕 武家の道具とは? 

 細川三斎は茶事を好み、名物の茶器も沢山所持していた。
堀田加賀守正盛が威厳があったころに、茶を好むゆえ、某を通して秘蔵の道具をみたいと申し入れた。

 三斎は諾して日を期した。
正盛を迎え種々の馳走でもてなした。
その後、いざ道具をと数々の物を出した。
がそれはみな武具であった。

 正盛はかねてよりの思いと違い、いと不興であったが、さあらぬ様子で厚く謝して帰宅した。

 後日某が参り、いかに茶器を見せ給わなかったかと言った。
三斎は、いやとよ、加州が道具を見たいといわれ、その通りににしたまで、およそ武家にあって何の道具と斥(きさ)ずして、単に道具というのみでは、武具であって何のことであろうか(林氏覚書抄出)。

巻之10 〔36〕 有難き上意を聞けるは昔のこと

 林氏が云う。寛政(1789~1801年)のはじめ、懸車(けんしゃ、退官すること)をはるかに超えて大目付を勤めた桑原伊予守は、年若いころ御番を勤めていた頃、未だ徳廟(家康公)が御在位の世であった。
御成りの御供をもしばしば勤めたという。

 それについては御徳義」の有り難いことと折にふれ咄が有る中に、鷹野御成り(鷹狩りで野山に向かわれる事)のさきで雨あるいは雪に遭ったけれども終日狩りをされた。
還御(貴人が出先から帰る事)のとき、番士が列になり平伏すると、今日は面白かった、わいらは困ったろう、大儀じゃと仰せであった。
真に身に染みて有り難く思ったが、今この上意を聞くのも、はや世にまれなことと語った。
今に至り予洲の話を思い出すも、また懐旧なこと。

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