2022/06/02
巻の15 〔14〕 嘆くべし、近年の世習
先年一橋一位殿にてしばしば申楽があったとき、小鼓の観世豊綿(新九郎)は殊に優命を受けた。一橋殿の領地の内、日光山道中幸手駅の辺にある。
豊綿もまたその辺に先祖より賜った知(もてなし、待遇など)があって、地は相隣になっている。
ある時双方の農夫が田を争って公事(くじ)となって、奉行所に訴え出た。
奉行所の下吏はその事を豊綿に告げた。
豊綿は狼狽してその事を問うに及ばず、即一橋の屋形に走り曰く。
不届の次第、偏に恐れ入ってただただ詫びた。
この事を聴くに入ると、双方引き合いもあって、その農民はまず豊綿の手前に置こうという事になった。
それでその者を入牢もさせたく思うが、もとよりその施設もないし、台所の釜の前にいましめ置いた。
やがて奉行所の裁判になったが、一橋殿領の方は非分となって、豊綿の農が勝利した。
林子曰く。
この頃までは奉行所の断案光明正大なること。凡そこの如くも多かった。
ところがいつしか歳月荏苒(じんぜん、物事がはかどらずのびのびになること)と移ろい、近年の世習となっていく。
嘆くべし、嘆くべし。