2022/07/06
巻之24 〔8〕 安芸、薩摩の士、川崎大師の川原にて勝負、その顛末
癸未(1823か)の春、川崎大師河原に開扉があって、人が大勢で参った。3月28日のことだったか、大森の露店に薩摩侯の士3人、安芸侯の士が1人いた。
その間に衝立(ついたて)を立て、隔てがあって、芸士の刀を古法の如く立てかけておいた。
ところが如何したのか、刀の鞘尻が薩士の当たってしまった。
薩士は立腹して、色々悪口を言っていたが、芸士はこれを詫びた。
しかし薩士は聞き入れない。
それで芸士が申すには、「この上は是非に及ばず、お相手に立ちましょう。されどここは如何なものでしょう。鈴ヶ森まで往って打ち果たしましょう」と互いにそこを去った。
またその店に尾張の士が1人いたが、最初から次第を聞いていて、2人と同じく立出、双方をなだめた。
けれども薩士が聞き入れない。
「この上は為方なし!某が証人となって見届けましょう」と芸士に加担して、一同鈴ヶ森に往った。
双方は立ち向かったが、薩士が3人1列に並ぶのを、尾士より「1人に3人でかかるのは無法ですね」と言われて、1人立ち向かった。
双方しばし挑(いど)み合う中、芸士は左手に薄手を負うたち見えた。
が一際(ひときわ)はげんで、薩士の右手を半分ほど切った。
これをみてまた1人が立ち代わり、しばし切り結んだと見えたが、袈裟に切られて(刀で一方の肩から斜めにわきの下へかけて斬り下げること)死んだ。
また1人が立ち向かったが、真向を切られて倒れ死んだ。
この間に、はじめに右手を切られた者は、はや逃げていなかった。
これより芸士は切腹の体に見えたので、尾士は立出て云うには、「いまだ切腹の期に非ず。某が何分にも進退いたそう」と、同行して薩侯の邸に往って、この事を申し入れた。
するとこの如き士はこの方には無しと答えて取り合わなかった。
それで尾芸の両士ともそこよりひ引き取った。