2023/03/18
巻之6 〔11〕 御留守居依田豊前守のこと
依田豊前守は名高い人である。町奉行に勤める頃、世人の口碑に伝わる話が多くある。
晩年は御留守居を勤めた。
いつも親戚に「我等はやがて老いてゆくのだから、その時は早く知らせてくれ。親類の好(よし)みであるから」と諄々と言った。
先朝の時、松島と云う大年寄が権威を後房(ここでは大奥)に振い、誰もそれを咎めることはなかった。
その頃、素人狂言をする者等を女乗物(身分の高い女性が乗た駕っ籠)に乗せて大奥に入れて、劇場の真似をさせて楽しんでいた。
老女の断りある女乗物は、御広敷(武家の奥向に仕えた女性)御門も出入りのたやいすものだった。
ある日のこと、松島の続合(つづきあい)の女であると云って、かの狂言する輩を乗せた乗物二十挺が、御広敷の門に入ろうとした。
その日は豊州の当直だったが、番の頭を呼んで、松島の親類書を持って来るようにと云った。
番の頭がその書付を持ち出し、開いて見れば、松島の従弟までの続ある女は三人のみだった。
「女乗物の三挺は通せ。その他は追い返せ」と苦々しく指図したら十七挺の乗物が御門に入れなかった。
その日の催しは空しくなってしまったと云う。
また老職田沼氏の妾、御内證の方〔津田氏、後蓮光院と号さる〕へ御安否をたずねようと出ることがあったとき、田沼氏に阿附(へつらい従うこと)する輩はその取扱いを上に通そうとしなかった。
豊州はこのときも重く受け止め許さなかった。
これ等の事より内外の首尾がよくない方になったので、遂に同僚より内沙汰のより、「老病を以て辞職するように」と云う事になった。
豊州は近親を招いて、「かねがねより我等が老いれば、早く知らせよと頼んでいたではないか。だのに、そうはしなかった。果たして老いさらばえて罪を作ろうとしている。親族の甲斐も無きことよ」と、嘆息して、己を挙げたことを生涯を云わなくなってしまった。