檉宇に答える。
先日給わった『当時随筆珍事録』の二冊をしばらく預かり、且つ示された所の実否をか確かめるようにとの旨、畏承した。
まず全文を挙げて事実を開示したい。
ここを以てその回答としたい。
穴賢。
『当時随筆珍事録』 壱州の狸の話
平戸侯〔松浦氏肥前守〕藩菅沼生〔通称量平〕の物語に、壱岐国には狸が有って、野狐は絶えている。
狸は狐のようにさまざまに変化して人を訛かす。
壱州に中に平戸領も有って、代官が平戸よりはるばる在役している。
家族を伴い在任している。
今より少し前のこと、代官が新たに替わり、庄官(領主から任命され荘園内の年貢の取り立て、治安維持などをつかさどった)の家に招待したら、新代官は妻子を連れて来た。
田舎だが、こうして心を尽くして饗応し、ことさらに恭敬した。
時に庄官に家へよくやって来る一商人があったが、その日に来て、門よりうかがっている。
賓客のある体なので、内へ入りかねて、垣の外より座敷の様子を窺い見ると、主の庄官はじめ給仕の男女どもが膝行頓首して客を饗応し恭敬を尽くしている。
客は如何なる人かと見ると、これはまあ、どうしたことか、みな狸で、並んで蕎麦切りを貪って食っている。
商人は大いに驚き、且つ怪しく思い、そこを少し離れ、生け垣の隙間より覗きみた。
上座は代官のようだ。
その次は妻女で美しく装い、次に男女児と思われる七人が並んで、蕎麦切りを食っている。
商人は戸惑い、再び垣の隙より窺った。
やはり狸だったので、急ぎ庄官の厨の中へ入り、奴僕の中のおとなびたものに、かくとささやいて、庄官に伝えた。
庄官は大いに憤り、商人を叱りとばした。
「大切な賓客を饗応しているところに、このような誠なきことをささやき、もし客に洩れ聞こえたら、どのような罪を得るかも計り知れないではないか」。そして僕に命じて、商人をつまみ出した。
ところが商人は懲りずにまた、かの僕を無体に伴い、垣の隙より窺わせた。僕も疑いながら、商人の云う通りに再三うかがい見れば、やはり狸だった。
僕は大いに驚き、急ぎ主人に告げようとしたが、商人は押しとどめ、「このあたりの犬を集めてこい。そして時期を待っていろ」と云い合わせた。商人は犬を呼んだ〔犬を呼ぶのに壱州の方言がある〕。忽ち犬は四五疋やって来た。
賓客を饗する座敷の庭口より四つ(原文ママ)の犬を入れた。
狸どもはうろたえ、逃げ出そうとした。
そこを犬どもは床の上に飛びあがり、散々に噛んだ。
狸四疋はかみ殺され、残る三疋はほうほうの体で逃げ出した。
これよりさき庄官の持地の巣穴があったが、作物を荒らされたので、その巣穴に草を積んで火をかけて、燻したと云う。
そして文は、なぜこのような仇討ちをしなければならなかったかと評している。
壱州は素より仏法を信じる土地柄だ。その下
より窺いみると、狸が正体を現し、その外の隙より覗きみると賓客の体に見えたのだと。
この事はきき伝え、いよいよ仏を信じることとぞ。
はじめ商人が垣の隙より窺った所に、その垣の辺りに百万遍の念仏の札を竹竿に挟んでたてている。
一、 菅沼と云うのは二代目良平で、名乗り義一と云う。
江戸生まれで、平戸のことは不案内である。
因って咄も重聞(マタギキ)ゆえ相違も多く、また伝え聞く記者の誤りも半に過ぎると思える。
一、 壱岐国には狸はいて、野狐は絶えていないと云うことは、大いなる誤りである。
壱岐には狐は最多し。
同領内であれど、平戸の者の壱岐の者を嘲笑う言葉に、「壱州に多き者は、てんたて〔黄鼠(テン)である。たてとは壱岐の俗信〕、ゆてた〔鼬(イタチ)である。ゆてたも同上〕、畦(アゼ)走るくつね〔くつねもまた俗信。けれど吾が邦古言の存する〕と云う。これを以て狐が多くいることを知っておきたい〔これに就いて云うことがあって、壱州の狐は余所の狐と違い、かつて人の目に入ることなく、またたぶらかし、人にとりつくこと嘗てない。わしの傍に事(つか)う茶堂は壱岐の人であるが、この祖父の時、その家の床下に狐が子を産んだ。つまり赤子はよく見えるが、この狐は目にしない。されど居るのは確かで、赤子に食を与えると、いつの間にか食い物は無くなっている。すると牝狐はこれを食して、その姿は人に見せないのだろう〕。
一、 狸の、狐の如くさまざまに変化して人を誑かすと云うこと、壱岐の人の数輩の当地在勤しているのに問えば、狸は世間でよく聞くように人を欺くが、さまざまなものに変化することは無いと。すると随筆は、虚言である。
一、 壱州の中に平戸領もあると云うこと、伝聞の誤りである。壱岐は一国で吾が領分ゆえ、平戸領と云うことあるべからず。五嶋大和守の領内には、互いに先祖以来の訳があって、かの領内に平戸領のある所もあり。この間違いなるや。
一、 代官が平戸よりかわるがわる在役すると云うことも、壱岐は一国ゆえ、平戸よりかわるがわる在役は赴かない。因って家族と云うことも誤りだと知っておきたい。
一、 それならば、次の狸話は、虚妄かと云えばそうではない。これは先年平戸の中、下方と云う所でのことである。それを聞き間違えて壱岐のことに附会(こじつけて関係をつけること)した。重複するが、その狸談の実を後に述べる。
曰く。牧山権右衛門と云う者の祖父が、平戸郡代だった時、下方と云う所の庄屋、権右衛門へ蕎麦を振舞おうとかねがね云っていた。
ある日不意に権右衛門並びに家内一同参るべしといって、使いが来れば、庄屋では約束と云い、殊更郡代のことなので、俄かにその用意して待つ処に、家内の子どもまで連れてくれば、庄屋も格別に馳走する中、庄屋の下男が草刈りに往った帰りがけ、草を負いながら垣の外より窺いみると、座敷には狸が大小並んで食物を喰う体ゆえ、驚き、内々に筆取(筆取とは、庄屋の下役である)へそのことを告げて、連れてきて見せると、狸ではなく権右衛門家内並んでいる体なので、下男に粗忽のことを申したと、筆取は出たのだ。
下男はどうしても不審が晴れなかった。
先程、草を負うている時に見れば、狸の形に見える。
今一応最前のようにして見ようと、また草を負うて窺ってみると、全くの狸である。
因って再び筆取を呼んで、このようにして見せると、これもまた狸に見えたので、庄屋にも内々に申し見せた処、これも狸に見えた。庄屋も疑い、先ず試そうと座敷へ出た。
「今日は御子さま方何の御慰めもありません。幸い我等仔犬を飼っておりますので、御慰めに出して、芸でもさせましょう」と云えば、客は「犬は何れも一同甚だしく嫌うので、無用でございます」と答えた。
けれども推して「犬を出しましょう」と云えば、みな色を損じたように訝しく思った。
その前に近辺の猟師へふれ回した犬どもを座敷中へ放したら、忽ちに狸は正体を顕し逃げまどい、中にはかみ殺されたものもいたと云う。
その後不思議に思えば、刈ってきた草をよく見ると、その中に村祈祷の守札〔この守札とは云うのは、百万篇念仏の札で、総て田畠野辺へもたて置くのを、かの刈草に計らずも入り込んいたと〕交わりがあったこそ、定めてこの奇特にて、怪物も本体を露顕したかと、人みな云い合った。