2023/05/01
巻之56 〔19〕 聖堂の鬼犾頭を見て~おとし話
思い出せば寛政中(1789~1801年)聖堂御再建の頃は、人才も多く、文藻(ぶんそう、文才)も盛んであった。また思うに、この頃は坊間の鄙事さえ文事の多いのも政化に由るだろう。
その一事は聖廟の制で、明人朱氏〔舜水〕の作った木図に拠ると、屋脊の上に鬼犾頭(きぎんとう、城の屋根の棟に置く、しゃちほこと同類の魔除け)といって、飛竜魚のようなものが殊に高くそびえたものが並んでいる。
緒人には見馴れぬものゆえ、口実に渉り、その時の所謂おとし話に、ある日鳩が来て、鬼犾頭に止まった。
廟吏がこれを咎め、新営は未だ日が経っていないので、「ここに集まることは如何なものか」と責めた。
鳩は「私には三枝の御札があります。何としてもここにやって来て学びたいものです」と答えた。
吏は服した。
時にまた烏がやって来た。
吏はまた咎めた。
烏は「我の様な烏にも反哺(はんぽ、親に養育の恩を返すこと)の孝があるのです。何としても学ぶためにやって来ました」と答えた。
吏はまた服した。
今度は雀がやって来て群がり止った。
吏はまた責めた。
雀達は「勧学院の雀は『蒙求』をさえずるのです」といった。
吏はまた服した。
さて今度は梟が来た。
吏は乃ち責めるが、梟は答えない。
再三吏は詰問するが答えない。
とうとう吏は怒ってしまった。
「御前は不祥の禽だ。何ぞここに来て汚すか」。
そして竿で打った。
梟は棟より地に墜ちて、鳴いて云った。
「夜が明けたら詩を作ろう」〔俗に曰く。梟は昼寝て夜寤(さ)める。因って巣を成す事は出来ない。故に常に夜が明けたら巣を作らうと云って、衆鳥に不能を匿す〕。
戯註。
『本草』集解、鴞(ふくろう)は即ち梟なり。
この鳥は盛午(午の刻、11時から13時)には物を見られず。
夜は即ち飛行す。
『周礼』に哲蔟氏は、夭(わかい)鳥の巣を覆ることを掌る。
註に云く(いわく)。
悪鳴の鳥、鴞鵩(ミミズク)鬼車(きしゃ、中国に伝わる怪鳥の属の若(ごと)し。
『広志』に云く。
鴞は楚(イバラ)鳩の生きる所なり。
慈乳すること能は、騾(ラバ、雄のロバと雌の馬との交雑種)や〔馬巨〕驢(キョキョ、雄の馬と雌のロバとの交雑種)の如しと焉(いずく)んぞ。
然れども梟長じれば則ち母を食うと。
これ自ら能く孳(つながる、しげる)乳すればなりかや。
抑(よく)も食う所の者は即ち鳩や。