三篇 巻之8 〔4〕  日野大納言の家系あれこれ

7月の末、麻布十番と云う所に能の稽古を見に往った。
そこで『檀風』があった。それには日野大納言資朝卿の話と云う。
この人は今の日野大納言資愛卿の先祖にして、後醍醐帝の北条氏を亡ぼし給うた事が露顕してこの如し抔(など)云うそうな。
肥州(静山公の御子息)が物語るには、今の資愛亜相は、無病の質で、これまで院参を1日も休まれたことはないと。

さて京都にて参内院参等のことを聞くと、大抵出仕の刻限八ッ時七ッ頃(午後2~6時頃)で、退散は夜九ッ(午前零時)、または過ぎることもある。
関白殿の出陣もこの如しだという。
けれどもその刻限を称するには、朝は巳刻(午前10時)出仕などいうぞ。

総じて節会(朝廷で節日など帝のもとに臣を集めて行われた宴会)などももちろん夜に入ることになったと。
わしは問うた。「ならば鶏は闘うか」と。
「夜分になれば鶏も目が見えないので、ただコッコッとのみ鳴くばかりか、一咲(ひとわらい、咲うはわらうと読む)するものですよ。すべて東武と違って悠長なることもありますよ」と応えた。

『知識拙記』を閲覧すると、日野の鼻祖(びそ、元祖)真夏より17世にして俊光あり。
権大納言。その子を資名とする。また権大納言。この後系資愛卿であると。
『太平記系図』に云う。
日野中納言資朝は、権大納言俊光卿の次男、従三位文章博士権中納言と。
すると日野の世系にして、支家であると。
また資朝文章博士ならば、高時の不道不義を討つ首謀なのも、最も宜(うべ)なるかや。
資愛卿、並び姉小路、中山はみな淇園の門人。
今この三氏はともに縁家となるも、不思議なことである。
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