三篇 巻之11 〔13〕 三川内焼 その3

 また今村の祖を尋ねると、朝鮮熊川の人で巨関と称すると。
つまり熊川は正しく今村の生国で、かつて氏神と云ったのも信用できる話だ。

 また今村は、わしが巡視した頃の亭主は弥次兵衛と云ったが、その子楚八、そのこ槌太郎となって、今は弥次の孫だと聞く。
浮雲流水、世の有り様悲しみに堪えることのみ。

  按ずるに(しらべるの意)『懲毖録』に、熊川郡は慶尚道の    東、海辺の地、釜山浦と遠くない。
傍々法印公の昔想いにはせたいものだ。

三川内焼終わり
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