続篇 巻之63 〔12〕 花木を植えること

江戸の御城ははじめ太田道灌が興したと、今は何事も道灌に帰して云う。
が、道灌が築いたのは今の西城であって、御本丸は藤堂高虎と諜(はか)られて御新築があったのだ。
だから『駿府政事録』には、新城と記してある。
また道灌も流石風流人で、今桜田と云う辺りには多く桜を植え、今の紅葉山と呼ぶ地には楓の樹を植えた。
それで春秋の詠を専らとしている。

今増上寺の門前に通じる小川を桜川と呼ぶのも、その源は桜田に出て、当年よりこのように云っているからと云えるだろう。
この事を林老が聞いてこう云った。

「桜や楓のことには頷けますね。桜田はもとより村の名前でしたが、桜を植えたことが昉(ほう)らず(始まりではない)ですね。御城の外の桜田から今の桜田町まで、よほどの行程です。当年豈(あに、意外なことに)その間に花木を栽(うえ)る理はあるのだろうか」。

また紅葉山は、駿府にあった名を移されたと云う。
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