三篇 巻之69 〔7〕 雲居の郭公(かっこう)に

 昌信(高坂、戦国武将1527~1578)が語った。
伊勢太神宮の庫の中に、頼政(源、平安時代の武将、公卿、歌人、1104~1180)の歌があった。
雲の紋がある紙に金砂子があって、短冊でもなく色紙でもない。
それに和歌を書いた。

   武士の射る矢は名のみ郭公
        心にとほる夜半の一声

 紙裏に、頼政の神力を謝する言葉があるが、その文は忘れたと。
これは正しく、頼政の奉納なる証である。
『源平盛衰記』、頼政の変化(ぬえである)を射取るのに、関白基実公(近衛、1143~1166)を御使として、御剣を賜いしとき、基実が詠じられたのは、(同書に、頼政畏れて御剣を拝領した。5月20日余のことになるが、折知りがおに、郭公が一声二声雲井に名乗って通った。関白殿はこれを聞き召してと見えるが)、郭公の名を雲井にあぐるか。

 頼政はこれを次いで、弓張月のいるにまかせて。
また、異なる本に載っていて、五月闇雲井に名をあぐるか。

 この異なる本は、関白殿に次いだら、後の口占になるだろう。

 伊勢へ納めるは、またその次になるか。

 歌の意を察するに、このようなこと。
如何にも伊勢の歌は、怪異を射ようとなる前に、八幡大菩薩、国家鎮守の明神、祖族帰敬の冥応に御坐(おわしまし)と、黙禱されたことを見れば、このとき伊勢をも念じたる、奉賽(祈願が成就した御礼に神仏に参拝すること)なるかや。
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