巻之16 〔9〕 かつての典故を知らぬこと

 この木原屋鋪は神祖(家康公)御入国の時、賜った家鋪地である。
家鋪の外の田地は木原氏に分けられた。
神祖が御存命の時、参州(三河国)の坐しまし時、この木原氏の祖は代々大工の棟梁で、鎌倉足利の屋形造り式法を家に伝えて研究していた。
がその頃の大工とて塀櫓等の普請のみ極めて重要となって、屋形造りのことなど頓着する人もなき時節となって、誰用いる者もなく諸国を流浪する。

 ふと参州に入られる時(家康公は)このことをお聞きになり、度々木原氏の棟梁を召しては御尋ねになった。
そして直に召し抱えられ、御贔屓を被り、岡崎御城外で大きな家鋪地を下された。

 御入国のときはその代として、この新井宿の地も賜われた。
江戸御城御取建や御御殿の修理の時になると武将の習わしの叶う如くに御間取などできると、みなこの木原の功と聞こえた。
それを参州御坐の程より、早く召し抱え置かれ御深慮遠識、恐れ多いと敬感し奉った。

 猷廟(家康公)の日光山御創立の時も、木原御作事奉行となって、木工頭(もくのかみ)と叙爵(貴族として下位の者が取り立てられること)し、そのことを司った。

 今日光御宮の雛形はその家鋪、林木の中に安置してある。
扉を洞開してその中は神体なし。
心ある設方である。家鋪の隅に一寺がある。
木原代々の香火院である。
興味のある者は訪ねて見られよ。
その後この家鋪御代々は兎狩りの地になされたが、孝恭副君はこの地に成らせられて、御病大漸に至られ、何となく御成りの無き地となって、今は典故をも知らぬ者が多くなった。
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