2022/04/03
巻之57 〔1〕 和田酒盛りと盃におもうこと その2
これは全く和田酒盛りと前後同時の物でまた大盃である。『平家物語』「千寿の前と云う条に(上略)、名をば千寿の前と申候とぞ申ける。
其夕べ雨少し降て、よろづ物淋しげなる折ふし、件の女房、琵琶、筝持て参りたり。
狩野の介、家の子郎党十余人引具して中将殿の御前近ふ候けるが、酒を勧め奉る。
千寿の前酌をとる。
中将少し受て、いと興なげにて坐(お)はしければ(中略)、狩野の介申けるは云々。
兵衛佐殿仰せ候。
夫何事にても申て、酒を勧め奉り給へと云ければ、千寿の前酌をさし寘(お)き、羅綺の重衣たるは、情け無き機婦(機織り女)に妒(ねた)むと云朗詠を(云々中略)、い云ふ今様を四五返唄ひすましければ、其とき中将盃を傾けらる。
千寿の前給はって狩野の介にさす。宗茂が飲ときに箏をぞ引済ましたる」。
これ等を思うに、きっと満酌もしなければ、何れ酒気の今と違いがあるのか。
思い出すに、嘗て浪華の旅邸にして、しばしば木村孔恭に(蒹葭(おぎあし、すすきにに似た植物)堂と称す)会うとき、蠧(と、きくいむし)敗した古冊書の断片を数十葉持ってきて言うには、「見なさいよ。これは天文年間(1532~1555)の書である。年号もあって、文章もそのころの体であるが、恨むらくは編次混雑、今は口をはさむまい。
この書中に酒醸のことが詳しい。
今と大いに殊に酒気は甚だしく薄い。
すると古人の酒器の大きなのもここに知るべしと云うが、その書を写すにも及ぶまい。
今思えば写本で、その紙背にも何か書いてあった。
何ごとだったのか。
このとき木村が云うには、「古の酒は米と何とかを合製して、尋常なのは中分にした片白と云い、白は白米の白である。だから諸白と称するのは酒の上品な即今の酒である。
故に能の狂言、末広と云うに、大名、太郎冠者に恚(いか)るものだが、冠者の歌舞するのを聞き云うには、「だまされたは憎いが、はやし者が面白いと喜び、泥鰌の汁をほうばって諸白を飲めと云って、太郎冠者を招き入れるは、褒められたものではないが、今日は上酒を与えようという風情にも、古代の体を知るべし。
また寺島良安(りょうあん、江戸期前中期の医師1654~没年不詳)が『三才図会』醸製のことを「諸拍片白は、本来麹米共に真精なるものゆえに、両白と名づく。
本米は精にして麹米は精ならざるゆえに、片白と名づく。
これ等もしくはまた昔は麦麹を用いていたか。
要するに酒造家において質(ただ)すのみである。

続く
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