三篇  巻之50  〔12〕 感嘆した話② 上の五文字の置き煩い

 〇津の歌仙の記
    琴山筆記抄録 一条
  わが安濃の津の豪商、川北久大夫の者の祖、自然斎と云う者は、和歌を好み、千代の古道に草の庵を結んで住んでいた。
ある時、心の花を枝折にて夢に分け入る美芳野の山と云える歌を得て、上の五文字を置き煩っていた。
その頃の歌匠武者小路実陰卿に、常々雌黄(しおう、文の批評や添削すること)を請奉した。
額ずいてこの歌を聞こえ上げ、殊に褒めたたえ、「名歌はとかく闕(けつ、かち、ここでは無駄な言葉を取り去る、か)ものだ。試しに我も考えてみよう」とあった。
7,8日の後行って尋ね奉ると、実陰はの給うた。

「汝の(五文字の)置き煩いも理である。我も先つ日よりさまざまと考えて見たけれども遂に置き得なかった。院の御所(霊元法皇(1654~1732)の御ことである)には歌の聖の坐ませば、事の序に奉し試みしに、法皇は御感じられて、『朕考得させん』との御事だった」と聞こえ給い、自然斎は悦びながらも惑い、「賤しい身で詠歌叡聞に達する恐れあるのに、親しく考え賜ること、類なき冥加だ」と、涙に咽(むせ)び退出した。

その後実陰卿の院参の序、「法皇の宣うよう。先つ五文字、朕が意にもまかせず、箇様の事は北野こそ功者なれと宣う」。
実陰卿は急ぎそのことを自然斎に語り給う。
その坐より北野へ詣で、七日七夜参籠して、歌の五文字を得ることを願い奉り、満つる暁に至れども何の示現もなかった。
自然斎はいとも本意なく、たまたま然るべき歌よみ出て、 闕たる文字も当時名だたる歌匠武者小路殿の考えも能わず。
聖(かしこ)くも院の御所の叡聞に達し、法皇の尊慮にも及び給わず、扠はこの御社の神慮にも能わせ給わずにと思い捨て、打ちしおれて帰る折、千本の松原を、二人の宮つ子が朝浄(あさきよ)の箒を持ちつつ物語る詞に、「過ぎつることは思い寐(ね)の夢で有けるよ」と云う声がふと耳に入って、『思い寐の』と云う五文字を置いて、再び三たび吟誦すると、全くの歌となった。
自然斎は余りの嬉しさに感涙やまない。そのまま御社に賽し、宿所へも帰らず実陰の御許(みもと)に到り、これと物語ると、実陰いたく感賞されて、「我も共に悦しく思う」と急ぎ院参して法皇に執奉あって、叡感浅からず、忝(かたじけな)くも宸筆の御歌を賜った。

  御製
賤のをの心をよする伊勢の海の
     藻屑の中に玉もありとは
  清曰、以上のこと申も勿論なるが上に、法皇勅諚の中に、「北野こそ功者なれと」聞こへしぞ、天満宮に対し給ひて、流石天子人臣の当り、仰ぎ奉れる御言也。
関連記事
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

プロフィール

百合の若

Author:百合の若
FC2ブログへようこそ!

検索(全文検索)

記事に含まれる文字を検索します。

最新の記事(全記事表示付き)

訪問者数

(2020.11.25~)

ジャンルランキング

[ジャンルランキング]
学問・文化・芸術
890位
ジャンルランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
歴史
131位
サブジャンルランキングを見る>>

QRコード

QR