続篇 巻之22  〔13〕 能『胡蝶』

 宝生座には『胡蝶』と云う能がある。
外流にはない。
その次第、ワキ僧1人、着流塗笠、行脚の体で出る。
和州三吉野の奥に山居する僧と名のり、都を一目見ようと京に到る。
一条大宮で荒れた家の庭に、梅花の盛りなのを見とれていると(『羽衣』の松の台のようなものに、紅梅の立った造物が出る)、シテの女、髪文字(かもじ)唐織で、呼びかけ立出、この僧と言葉を交わし、梅花に縁のないことを歎き、来る春毎にかなしみの、泪の色も紅の、梅花にえんなきこの身であると云って、遂に我が姿を夢で見て欲しいと、夕べの空に消える。
夢のように成ったと、中入り、後シテは、長絹、着付けは薄色大口、天冠に蝶の立てもので出て、造り物の前で遊ぶ体あって、序の舞、破の舞を為して、切りは太鼓もので、春の夜の明け行く雲に羽をうちかわし、霧に紛れ失せていくと留める。
梅に蝶を云う事は、唐の李義山の詩に、何の処か胸を払いて蝶粉を資(ト)り、幾時か額を塗りて蜂黄を藉(カリ)る。
また宋の林和靖の句に、霜禽下んと欲先ず眼を偸む、粉蝶の如しと知らば魂を断ち合う。

  胸は梅の弁を云う。
何の所にか蝶粉をとり、弁を払ってこの如く白きや。
蝶は白い。
額は梅の蘂(しべ)を云う。
いつか蜂黄を藉(か)りて蘂をぬり、この如く黄なるや。
蜂は黄なり。
見ざる如にして見るを偸眼(ときがん)と云う。
霜禽梅にとまらんとして眼を偸むものは、梅花美なればなり。
粉蝶は梅花の時には未だ出でず。
因て梅を知らず。
もし梅花を知らば、この為に魂を断たんとなり。
断魂は思の甚しきを謂う。
蓋し是等を取合せたる乎。
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