巻之9   〔20〕 流行に触れを出す

 世間で流行することも時々変遷する。
10余年前、立花侯の浅草たんぼの別邸の古陸に狐が棲んでいた。
よく田の畝を走る姿が見られていた。
『黒班の狐』と呼ばれていた。
「風(ふ)と太郎稲荷」と唱えて現れて、都下を洋々と相称して、後はかの別邸に、群詣の人々は絶えず続いた。 
或は歌謡を作って、ここに合わせて唄詠する。
また祠を造り、尊崇して次第に壮麗を極めた。
然るにいつか止んで、今は知る人さえ稀になった。

 これに続いたのが、『叶福助』と名付けて、巨頭小軀の土偶の肩衣、袴を着けたのを売る。
「これを置いた者は富貴になる」と。
因って戸毎にこれを求め、それぞれの人が買った。
また都下では揚々として貴賤なくもてはやした。
歌謡もこれに付けて起こった。
然るにこれは今は絶えている。

 また去年位より『かんかん踊り』と云って、小児の戯舞するものがあって、都下に周遍している。
その章は唐音(とういん)を伝えているという事らしい。
坊の間を版刻して売り広めている。
今その図並びに歌謡を載せる(参照写真)。

 「かんかんのふきうのれんす。きうはきうれんす。きうはきうれんれん。さんちよならへ。さァいほう。にいくわんさん。いんひいたいたい。やんあァろ。めんこんほほらてしんかんさん。もへもんとはいい。ひいはうはう

 「てつこうにいくはんさん。きんちうめしいなァ。ちうらい。ひやうつふほうしいらァさんぱァ。ちいさいさんぱんひいちいさいもへもんとはいいひいはうはう

然るに壬午(文政5年、1822か)の春2月、市長は停止の事を闔都(こうと、都全体)に触れした。
これ自して止んだ。その文に曰く。

一、唐人踊の儀、この度厳しく停止を仰せ付被候に付き、子供に至る迄かんかんおどり哥抔(など)決め而も申しまじく候。
且つ辻商人、飴売り、壱枚摺り、絵草子抔にも、右唐人並びうた抔持ち流行候者これあれば、その所留め置く町所聞き糺(ただ)し早早訴え出るべし候事。

 右の通り仰せ渡し被る候間、町内限り相触れるべし候以上。

 後で聞くと、長崎では古くからあったとの事。
その辞意は猥褻を極めたということだと。
近頃崎の賤民は罪があって、その他を放逐されたもの、浪華に到ったと。
活計(暮らし向き)に苦しみ、唐人のかんかん踊りをして、一時人が笑い楽しんだという。
然れども左まで流行と云うほどのことは無いが、如何なることか東都に伝えて、人々はその趣意をも弁えず、猥りにもてはやして盛んに流行し、遂に禁じられるに至った。
また聞いた。
蛮人が来たれるに因って(3月恒例の紅毛来貢である)、淫詞、外国人に聞くことはいくらか憚るようにと、市長はこの触れを出したと云う。

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