続篇 巻之十四 〈五〉 御仕置き場

近頃の事である。
ある御屋形の御簾の中で、隅田川遊覧の帰途堺町を通行していたのが、予め内通していたのだろう、歌舞伎の木戸〈所謂鼠木戸である〉がみな取り外され、外から舞台がよく見渡せる所で、助六の狂言で幕を開くのだがね。
舞台の所作がよく見えるので、御簾中の御輿は不浄所の例えになるからと高くさし挙ぐると、舞台の様子は見えず、ただ軒に掛けた看板のみを観給い、御供の面々だけは狂言がよく見えたのだと云う〈後で聞くと、この日は供の輩は帰邸の後罪を問われ三人切腹。
在所へ放逸させられ、あるいは職務を解かれたるなどおびただしいことであった。
珍事変である〉。
これで思い出すのは。
わしは先年東上して江戸に着く前日、品川に泊まった。
八ツ頃(午後2時頃)鈴ヶ森を通ろうとした時に、供方より申すには、路端に御仕置き物があるので、如何いたしましょうかと尋ねるのだ。
わしは応えて云った。
その御仕置きは何なのか。
答えるには、梟首でございます。
わしは、では気にせず通るがよいと下知した。
その前を急ぎ行くのに、これも不浄所の法だと、駕をさし挙げた。
獄門台は高く構えているものなので、駕の窓と梟首が並ぶと、首は近く見えた〈如何なる受刑者か、首が十ばかり並んでいた。台も三間ばかりの長さであった〉。
陸尺(ろくしゃく、籠や御輿を担ぐ者共)どもはいらぬ作法をして、見たくもないものをわざと見せたのだ。
この二つの乗っていた駕を挙げられた事の背景は各々に異なる。
が、駕を陸尺によって挙げられる経験は一般的な事なのだろうか。
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コメント

No title

鈴ヶ森の刑場の場面ですね。テキストを確認すれば良いのですが、「その品は異なるが、両事は一般的な事かと問いたい」の部分の意味が、よくわかりません。歌舞伎小屋の横を通ったときと、刑場の横を通ったときの、お供や籠もちの所作のことを両事といっているのでしょうね。とすると、やはり、前者と後者では、大名のことと、自分のことで、身分は違うことだけれども・・・ということでしょうか?

No title

Nagamata さま
不甲斐ない文で申し訳ありませんでした。言葉を現代のどの言葉に置き換えたらよいか悩んだ品という言葉でした。
今回の話は、静山さん、駕に乗っていて、不浄所を通るという理由で駕を担ぐ者達が駕を挙げたという経験2つを書いたものですね。今回は経験2つが品と思いました。品は今でこそ物ですが、物ではないものも品かと。
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