2020/09/13
続篇 巻之九十ニ 〈一〇〉鷲に捕えられた話
印宗和尚が語った。天保壬辰の夏だった。
薩摩領で小給の士の十四になる子が、父の使いとして、書簡を持って、朝五ツ頃に近辺に行ったが、ある坂を越していくと、大きな鷲が空から飛び降り、この子を掴み飛び去った。
倅は驚いたが、空中の事なのでどうしようもなかった
眼下に村里が見えていたが、やがて見えなくなり、やがてはるか海の上を飛んでいった。
怖かったが、為すこともなく、両手を懐に入れて、運命に任せていた。
片手をそっと出して見ると、自由になるので、鷲を刺そうと思ったら、丁度鷲は大きな木の梢で羽を休めていた。
倅は(腰に指した)脇差に手をかけようと周りをよく見たら、殊に高い梢なので、鷲を殺したら、己は墜ちて微塵になると思い、しばらく猶予する間に、鷲はまた飛び行く。
やや間があって、倅が下を臨むと、程近きに平地があった。
頃合いを見て、脇差を抜いて、胸の辺りを後ろざまに突いた。
鷲は弱ると思われたので、ニ三回刺すと、鷲は死んで地に落ちた。
ここは山中なので、ニ町ほど降りたが、方角がはっきりしない。
ふと思いついて立ち戻り、かの鷲の首と方羽を切り落として担いで麓目指して行くと、木こりに出会った。
木こりは「何処の人だね」と聞くので、倅は「城下へ行きたいので、案内してくれ」と頼んだ。
木こりは「城下とはいずれのことぞ」と云うので、「城下を知らんのか」と倅が云うと「全く知らんな」と応えた。
倅は腹立てて「鹿児島のことよ」と云うと、「鹿児島とは何れのとこだあ」と云う。
倅は心づいて、「薩摩鹿児島であるが、あんたさん、ここに居ながら、わからぬのか」と云った。
木こりはあきれて、「薩摩はここから何百理と離れておるぞ」と云った。
倅は「さればここは何処か」と問う。
木こりは「ここは木曽の山中なり。
如何にして、この様にわからぬ事を云うか」と云った。
「わしは薩摩の者である。鷲に捕われ、」とかくかくと倅は話した。
証にかの首と羽を出したら、木こりは疑わず、麓に連れていった。
庄屋にこの由を訴えた。
陣屋にいくと、人々は驚き、医者を呼んで診せると少しも替わりはない。
それより件の成り行きを問うと、薩州で鷲に掴まれたのは朝五ツ(八時)過ぎで、木曽の山中で鷲の手を離れたのは夕七ツ(十六時)過ぎだった。
(捕らえられてから)時が経っているが、空腹を感じないようだった。
帰すには、数百里の処なので、まずは江戸の薩州屋敷に送り届けた。
老候はこれを聴き給いて、殊に賞感されたと云う。
計ると信濃から薩摩へは、殆ど四百里になる。
この様な遥かな距離を、僅かに五時で至るのも、鷲の猛きか、その人の暗勇か。
奇事が耳に入ったものよ。
また先年のこと。
江州膳所でも、馬に乗った少年を鷲が掴み空中に飛び行った。
捕らわれながら少年は、下を見ると、湖上を飛行するので為ん方もない中、両刀邪魔になるので、刀を抜いて湖に投じた。
脇差は指していた。
すると陸地の方へ飛行した。
鷲も羽が疲れたのだろう。
掴んだ足をゆるめたので、少年は浜辺らしき処に墜ちた。
鷲はその辺りの巖上に飛び降り、羽を休めていた様だ。
少年も幸いに傷一つなく、起き上がり鷲を切ろうと思った。
が、逆に鷲に攻撃を受けると思い、伏したまま動かなかった
。鷲は動かない少年を見て、飛び移り、その面皮を掴み食おうとした。
が、少年は脇差で切りつけたので、鷲は斃(たお)れた。少年は辛くも命拾いをして、辺りの人に尋ねた。
「ここは何れの処であろうか」と聞くと、「若狭の海辺である」と。
これらは(西国の)近国の話だが、何れ二十余里も行けるものではない。
大鳥の人を捕え方は同一方法である。
この二つの事件を考えると、鷲は、(二人の)帯の後ろを掴んでいる。
薩児、江少年は、みなここをしとめられた。
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