巻之16   〔3〕 放達の者たち

 蕉軒が云う。

 詩人の放達(気ままで物事にこだわらないこと)は留まるところがない。
3尺の童子も知る李太白、杜子美は詩人の勘弁ならずや。
その詩句にて云うのは、「李が狂歌孔丘笑う、杜が儒術我に于(ここに)何か有り哉、孔丘盗跖(中国の古文献に登場する春秋時代魯の盗賊団の親分)倶(とも)に塵埃」と云うように、名教の罪人と謂うべし。

 近時、勢州の和学者本居宣長は、強いて我が国のことを主張しようと、孔子に名云うも、ますます知らないことの甚だしさである。

関連記事
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

プロフィール

百合の若

Author:百合の若
FC2ブログへようこそ!

検索(全文検索)

記事に含まれる文字を検索します。

最新の記事(全記事表示付き)

訪問者数

(2020.11.25~)

ジャンルランキング

[ジャンルランキング]
学問・文化・芸術
1328位
ジャンルランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
歴史
181位
サブジャンルランキングを見る>>

QRコード

QR