2020/09/17
三篇 巻之ニ十九 〈一〉 肥前国風土記の話
『肥前国風土記』から大家島。昔、景行帝の御宇、巡幸の時にこの村に土蜘蛛がいた。
名を大身という。
皇命を拒んで、降服(まつろ)うことを肯ず。
天皇、勅命して殺して滅ぼした。
それから、白水郎(あま)ども、この島に就いて、宅を造り居んだ。
だから大家の島という。
島の南に巌がある。鍾乳(いしのち)と木蘭(もくらに)とある。
廻縁(めぐり)の海には、鮑、螺(にし)、鯛、雑魚、及び海藻、海松と多い。
この島は今は大島と呼んで、城下から海上三里の北にある。
なるほど『風土記』に載る様に巌がある。けれど島南にはない。
三つある巌の内、二つは東方にあって南に向く。一つは西方にあって西を向くと。
島の人に聞けば、巌の入り口は凡そ三間もある様で、高さは一丈とも云えるだろう。
深さは知れないが、波が打ち入る響きから察すると、十間余りにも及ぶだろう。
西方の巌も、深さはおおよそ前記の様で。
この余に小巌は処々にあると。
この余に、西方の巌前に、障子巌と呼ぶ石がある。
海中から立って、高さ三四丈ほど、横十間に及ぶ。その下、潮が通じる孔(みち)があって南北に満ちては退(ひ)く。
また島の北に裏海(いりうみ)がある。
入ると一里余り、されども北向きに波が荒く、泊船はやり難い。
この遥か対するは朝鮮国である。
このニ処は『風土記』にも載せていない。
また今領内の輩もかの島の海巌を知らない。還りて数歳の昔をこれに載せた。
※丈=10尺=3.03㍍
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