巻之七十九 〈ニ〉 鳥取松平因州世継ぎの民部太輔の死

鳥取松平因州世継ぎの民部太輔がこの春、疱瘡を患い亡くなられた。
因州の寺はわしの隠荘から近い弘福寺で三月二十三日に葬送があった。
わしは朝早くに寺嶋に行き、帰途に行き合った。
にわかに避けて、三巡りの社頭に至り、田を隔てて遠く堤上を北行きするのを見ていた。
前に長柄十本、張り弓十挺、対槍四ほ、先馬二疋、台かさあ、立ち傘等の諸道具、持卒どもみな白布をかけて従う。
位牌も輿に入れて先にかつぎ、香炉は小ずしに納めて二人して手昇として、その次の棺をあげて。
総勢が終わった後には、末家の松平壱州〈三万石〉、松平長州〈2万石〉も従った。
この民部太輔は将軍家康三十ニの公子にして、幼名は乙五郎君と称し申しける。
文化九年に誕生ましまして、同十四年に少将斉稷朝臣の元へ婿養子として移られた。
今に至り十歳(ととせ)、年十五になられた。
わしははからずもかの行に合い、上の御愁悼を察し奉り、世の無常を嘆じ、不覚にも涙を催した。
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