巻之53  〔16〕 ② 閏月の中秋に語る

また月下に管弦のことに(話題は)及び、折しも林家の楽生に故障があって、この夜催しがたいと云ってきた。

 それよりわしの作意した白拍子のことを語る次いでに、世にも心得がたいことがあるとある人が云った。
福井侯の家法は厳しく世の芸妓なる者も後房に入ることを禁じ、遊場俳優の輩は猶更、ただ瞽(ご、めしいの意)師の筝曲のみだったと云う。
この公侯の家は尤もであろう。

 つまり後房の置所の侍妾小玉の輩は、唄哥起舞するのは、みな遊場の哥舞である。
すると遊場の人は禁じて、その哥舞を行わせる。

 所謂50歩で100歩を笑うのではない。
是と云うのも、世絶えて採り得る哥舞なくして、都下に洋々たるは俳優の哥舞のみであるからだ。
故山田險校(やまだけんぎょう、1757~1817、江戸中期から後期に活躍した筝曲音楽家)自ら一家の哥を作って、侯家の宴席に興じた。
これは山田の所見がある。

 わしは白技(白拍子)を興じても、古を慕うのみだはなく、いささか別に微志があってなど云って笑い、主人もまた一笑した。

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