2022/07/05
続篇 巻之41 〔3〕 医師多紀安長
梅塢は話した。多紀安長(元簡もとやす、1755~1810、江戸後期の医師)が済寿館の総宰の時、東京肉桂(シナモン)の舶来が少なく、価格もまた騰がった。
館は都下窮民の治療を仰せ付けられているので、かの局定額の御入用に限りがあって、俗事役大野某は、舶桂に倭根皮を半分加えて、薬料にあてた。
安長はこれを聞いて怒って曰く。
「既に上命あるのは官の御薬種のみ。民を救う御盛意は格別である。邑人は根皮の桂でも治療すべきだろうが、御盛旨に背くことはあってはならない。私財で高価な唐桂を買うから、根皮は入るぬように」。
またわしはかつて聞いたのは、安長の塾の中に諸方の医生が来ていて、師の手が及ばないので代診として遣わした。
一門医が帰ってきて、安長にその病状を告げ処方を伝えた。
高価な薬品を代薬するように言った。
長曰く。
「医は治療を専とするのだ。なんぞ薬価の卑高を論ずるな」と。
みな長の私財を以てした。
言った者大いに恥ずかしいと云ったと。
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