続篇  巻之28  〔8〕 事件に思う徒然

柳原より芝の浜まで焼けたとき、本船(モトブネ)が多く焼けたことを前にも云った。
その後4月朔日と5月の10日に、わしは品川へ往くときに、先に人をして海上を遣わした。
4月に見たら、佃の沖東南の方に当たり、本船3,4艘焼けて、湖上に半月形の如く浮かんでいたが、5月に見たときは取り除けたか、見えなかった。

また今回の火事では、佃嶋と鉄炮洲の間に、本船3艘ばかり焼けたが沉(しず)んで湖中に見えるが、その側を船行したと聞いた。
すると数艘が焚燼(ふんじん、焼けて灰になるさま)となったとき、疾風が及んだと、思い知らされる。

またこの時船が還る際、 三又の辺りより大橋のあたり両国橋の処で、川中に屋形船数隻を浮かべて、過ぎた火災の亡の迷霊を弔って施餓鬼の僧が多くいたが、修験、法華僧など誦経し、鐘鼓宝螺(ほら)の鳴声(原文ママ)甚だ喧(かしま)かったと。
これは先年深川八幡祭礼の日に、永代橋が墜ちて死亡の人が多かったときもこの如し。
この時はわしも目撃した。
この度もこのようなことは、都下繁昌浮華の1つなるか。

またこの火災で、家根板が払底(フッテイ、品切れ)して世上にあることがない。
因ってその価格が高騰して、人の仮居を造ることが難渋している。
この故を尋ねると、元来その問屋は佃嶋にあって、ここ自(よ)り都下に売り広めたと。
つまりこの失火で焼失して、その本尽となるとこの如しと。
これを聞けばこうなるだろう。

また本町に小西某と称する薬種屋がいた。
火事の後、仮店舗にいたが、士が1人来て、某に向かって、己不届き者と云いざまに、刀を抜いてその首を打ち落とした。
手代が側に在って、周章(あわ)てて士を遮ろうとしたが、士はその刀でこれが脇腹を突いたので、これも痛手になって死んだ。

人が評するには、富の金を配分したが、薬種屋の所為私非あって、士が怒ったものと云う。
未だこの後の沙汰を聞かないが。
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