2022/08/01
三篇 巻之74 〔20〕 御葬列のはなし
人の口に鎖(トザシ)もならない。この度御ことを種々いう中、誰が云ったとも知らずに、御柩の重さが甚だしくてなかなか御輿舁(みこしかき、御輿をかつぐ人)が出来ない。それで御葬行のときは、前例により、町中1番組2番組の鳶共の役目として、悉く出て挽くように云う。
されども音頭や木遣りは慎むように、無声で挽くことにした(近頃御裡(うら)方様が上野へ御葬送のとき、御山に入って、人夫が疲れの為、御柩が進まない。
鳶頭が願いを云った。
甚だ不調子なので、疲困しました。
どうか木遣りを唄えたさせて下さいと警吏に請うた。
が、吏では決められず、何れかへ伺った。そこで一時の計らいだからと、これよりいつもの如く発声して木遣りを唱え、別条なく、御葬坎までの御儀が整ったと云う)。
またこの挽夫(ヒキフ)は、臨時の訳でと各白張烏帽子を下され着用したと。
またある人が云うには、御柩には下は車をつけた。
上は白帛(キヌ)で覆い、地面まで垂らす造りとした。
輿丁の鳶の輩は、みな覆いの中に入り、身を顕さず御柩を進めた。
が実は数貫の重さで、中々烏帽子白張の姿では、みな疲労して励めない。
それでかの帛の中では、他の目が及ばないので、鉢巻、両肌脱ぎなど、大石巨木を曳くときと同じに、御柩を曳いたと。
定めしこの覆いの外は厳粛に寂行だったと。
またある人が云うには、この時鳶頭は、鐸(レイ)を持ち音頭の代わりに1振りすると衆は1挽き、またこうして運ばせて行った。
速やかにするために、鐸を急に重振すれば、御柩もその声(当時は音を声と言い表している様子)と共に早めて、御臨坎のときも、このわけで、遅速はありと云う。
- 関連記事
-
- 巻之4 〔30〕 宇和嶋少将の御酌を引いた御番衆
- 三篇 巻之74 〔20〕 御葬列のはなし
- 巻之28 〔24〕 外の道もあったのだろうに
スポンサーサイト
コメント