続篇 巻之四十六 〈一五〉 死刑の者の首を斬ること

一日、三上候の処で犬追物を観た後、談話の次に候曰く。
成瀬素人〈犬山城主〉の臣に某がいる。
我が方に久しく懇来している。
この男は心が剛なる者、段打ちをよくやっている〈この人は試しものの時、腰車といって骨が五重あるところを六度切通した手練であると〉。
ある日云うには、某の人斬りの門人となったので、死刑の者の首を斬ること度々であった。
さてそねな斬らんという時は、胸中に今刀を下さんと思えば、罪人は息を外へつくことなく、アッアッと内へのみ引く。
その為、その苦慮を見れば自ずから酷くおもう。
だから、今に斬らんという時は、おのれは無心になれば、罪人も一向心がつかず、平気になるものである。
そこで、首を打ち落とす。
死んでいく者ではあるけれど、しばらく苦痛を与えぬが善しと思い、この様に為るとのこと。
人と人の間の事なのだが、心気自ずから相通ずる所があるから、不思議なものである。
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コメント

No title

江戸期の死刑執行人、つまり斬首をおこなった山田淺右衛門もこのような極意をもっていたのでしょうね。心を落ち着かせて人の頭を切り落とすことなど、とても出来そうにありませんが

No title

Nagamata さん
はい。今日のこの文は衝撃的に思いましたが、やはり苦しまずに逝ってくれと祈る様な思いだったでしょう。山田浅右衛門も。
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