三篇  巻之62  〔7〕 水戸殿の正月旅出

 水戸殿が英才であられるのは、都下の知る所である〔庚子〕。
この度御願で、水府の発駕は、2月の初旬とか告知があった。
やがて官の御中陰になるべき故か、俄かに正月の末発駕で、甚だとり騒ぎ、弥23日と云うことになった。
某等の千住への御送も堅く停められた。
その深夜さらに発途との告知があって、御見送として、家士を小石川の御第(やしき)へやった。

 時は暁8時になるので、公は馬上で御旅出された。
なるほど先日も御物語のように略装と思え、前行に黒鶏毛(トリゲ)の槍1本、鉄炮17丁、御馬の後より弓3張、従行者の後に牽馬11匹、この余の群士卒は、平常都下従行の人数に違わずとのこと。

 また公は玄関を出給うたあとより、御年10歳ばかりと思われるが、世子鶴千代丸殿とか見え給い、出送り給うた。
伽も児輩10余人随従なったと。
関連記事
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

プロフィール

百合の若

Author:百合の若
FC2ブログへようこそ!

検索(全文検索)

記事に含まれる文字を検索します。

最新の記事(全記事表示付き)

訪問者数

(2020.11.25~)

ジャンルランキング

[ジャンルランキング]
学問・文化・芸術
890位
ジャンルランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
歴史
131位
サブジャンルランキングを見る>>

QRコード

QR