三篇 巻之9  〔2〕 印宗和尚とはなす

 わしの荘中に寓(よ)せる印宗和尚が対話してたとき1枚の紙を見せて云った。
「『法苑珠林』にこのような句がありました。心に留まったので書き出して来ました」。
わしは思った。
「これは弓卒の射術を修業する者と合壁(壁一つ隔てた隣家)なれば、その為に感語したのだろう」。
また聞いて如何にもと思ったのでここに書く。

 唇口の如きはこれ弓なり。
心慮は弦の如く、音声は箭の如し。 

 また弓卒の軍射を学ぶには矢を放って弦が離れるとき、「エイ」と矢声(ヤゴエ)をかけ、矢物に中(あた)ると、「ヤア(引)」と矢叫びをする。
それなのに印宗和尚はいつも聞いているので「「エイ」は曳(エイ)だから口内へ引く音なれば、弦を控(ひ)いて留まる」と云う。
がこれは僧の云ってる事を聞いているだけなので、その実はわけも無く、矢弦を離れるとき、心気の声に発するのみである。
これ等は武夫は射て知っていることだ。

 また印宗が言うには「ヤア(引)」とは矢先へ発するとき、その声も「ヤア(引)」とともに出ると云われたがこれも聞き耳の説であり、これは矢は既に物に中っていて、その中(アタリ)に応じて「ヤア(引)」と云って叫んでいる。
みなその道の者は試して知っている。

 また弓術のうち、「エイ」、「トウ」と声をかけるのも、印宗が云うには、「「エイ」は曳(エイ)で弓を彎(ひ)くことです。「トウ」は当と書くべきでしょう。矢が物に中ると云われるが、これもこれで、弓場間がせまってくるときのことで、手近い物を「エイ」と声を発し射るので、はや敵は手詰まりになるのは、弓で「トウ」と撲踣(ウチトウ)す底のとき、その声掛けをするのですよ」。

 これは声掛けするとは云っても、実は自然に出る声ではなかろうか。
印宗和尚は僧のことゆえ、物を隔てて聞いて、書を引いて明らかにする解釈なれば、宜なるかな。
武門の実用はわからないけれども。
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