巻之56 [12] 気転

林子が言った。

姫路侯の世子の住める蠣殻町屋鋪の園に招かれ、園中の茶屋で管弦の宴があった。
わしは立ち上がろとして、座を離れ、次の間の厠のある所に行った。

上下を脱し、戸を開けて入ると、折しも前夜に暴風雨があって、糞窖(ふんこう)中に水をたたえていた。
それで戸外に出て、近くの侍の輩に、「しかじかである」と伝えた。

茶道に申し付けられ、「何かこの中に投じ入れなければ」と申され、居合わせた両3人が周章(あわてふためく)の色だったが、その中の1人が何しらぬ顔で、下へは往かず上の間をさして行くので如何のことかと思っていると、棚に在った料紙箱をささげで来た。

蓋を開き、その中の奉書紙、美濃を残らず出し、片々して糞窖に投げ入れた。
それから「いざいざ入って下され」と云うので、直に厠に入った。
いささかも障りはなかった。
兼ねて案ずべきことにもなかった。

時に咄嗟の気転、誠に感じ入った。
殊にその仕方の上品なこと、如何にも大家近侍の挙動とであった。

わしは侯家と懇意なので、後日にその老臣にこのことを云って賞したが、定めてその人をあちらでも褒め称えた。
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