続篇  巻之29   〔10〕 矢止(ヤドメ)の傘

 前の巻之26に、喜多左京が大坂を去った後、御当家に召し出されたことを云った。
後谷村某〔名は可順。御数奇屋坊主。喜多氏の親類〕の語を聞くと、大阪落城のとき、左京〔この年左京は年34〕が本丸の方へ往ったが、途中で大野修理に遇った。
修理曰く。
「そのもとは早く御櫓に登って、この傘を開き振りなさいと、赤い日傘を与えました。
左京はすぐ櫓の上段に登り、牖(サマ、窓)より傘を出して振れば、間もなく弓炮の音も絶えました。
次第に人は囂(かまびす)しくなくなったので、櫓を下ると、秀頼は生害(自殺の事)と聞いて、急ぎ櫓を出て見ると、はや修理にも逢うことはなかった。

 城内の人みな四方へ逃げ去るさまで、左京も落ちて行こうとしたが、秀頼は落ちて往かれたと云うのを聞いて、随って四国の方に行き、それより九州の黒田氏に寄ったと。

 すると前にわしが考え置いたのもこれに合う。

 また櫓より傘を出す事は、矢止の傘と云うと、落城のしるしであり、古人の軍約とのこと。
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