2022/12/07
巻之29 〔15〕 藻がつみ紋のはなし
また曰く。藻がつみの紋〔世に花がつみと云うもの〕は古い形であった。が廃れて世に伝わらなかった。
故の田安黄門君〔悠然院殿〕は好古(こうこ、古い時代のものを好むこと)なので、様々の旧事どもを穿鑿(センサク、穴をうがち掘ること、細やかなところまで根ほり葉ほりたずねること)されたので、人物古画を得られて服章にこの紋があったのを愛賞(あいしょう、気に入って賞美すること)され、新しい織を命じられることになった。
因って故の松山侯と今の桑名老侯〔楽翁と云う。
近頃転封させられたゆえである。
ともに悠然院殿の御子である〕とはこの紋を用いられたが、世に知る人もない。
これは20余年も前のことである。
わしはたまたまこの紋を見て、その古雅なのを愛し、新製作の鎧の金具も染め革も残らずかつみ紋にした。
中古の風にかつと云う縁語を借りて、かつ色(紺よりもさらに濃い暗い藍色)の、かつお虫(人間には寄生しないが鰹の刺身についた米粒のようなテンタクラリアという寄生虫)と謂うもの、武具に用いることになったが、余り人真似のうるささから、新しくこのかつみに換えて用いた。
模様や柄がよいので、馬具にも用い、その末には雑具に用いる絹布の類の染形にも多く用いることになっていった。
形製も数種変えて用いる内に、遂にはわしの家の物のようになった。
さて年月を経る中に、如何なることか、世の中一般にこの紋を用いるようになり、婦女の衣帯をはじめ、卑賎、俳優が用いる品までもこの紋がならざるようになっていった。
わしもまたあきれるばかりである。
ある人はあまりに世に流行するので、わしにこの紋を用いることを留る者が在ったが、従来古紋なので用いるものだから、世の行不行に関わるものではないので、自若として元のように家紋同様に用いる内に、流行りは移ろい易きもの、早やこの3,4年は流行が止み、用いる人も稀になった。
世事は思いもよらぬことが有るものだ。
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