続篇  巻之14  〔7〕 加藤嘉明の甲冑

 弥生の末、石虎と云う軍講者に逢ったとき、彼が云った。
 加藤左馬助嘉明は、(世間で)想われるのとは違う小兵で、聊(いささか)も勇威の風のない人であるが、ただ心胸の猛烈なことは衆人に勝れる質であるという。

 また石虎が云う。
松平不昩殿〔退隠後の名は、松平出羽守治郷〕の供をして雲州に往ったとき、勢州水口で城主加藤氏に請いて、その家伝の兜を見られた。石虎も傍にいて見たが、その形富士山の体をして、下の広がり三尺ばかりである。
その心に思うのは、猛勇者の大兜だから、さぞや重かろうと、力え入れて上げると、甚だしく軽い。
思わずも後ろへ転んだというぞ。
薄金作りで、見かけと違い、殊更軽いものであったと。
今石虎が言って図にしたところ、写真の如し。

 また嘉明の鎧と云うものは、革具足で、殊に軽い靖(つくり)である。
すると力量も無い人で、重さには堪(た)えられぬかと。
古人の中には思いの外のこともあるものだ。

 また後日その鎧のことを石虎に問うた答えに、「勿論革胴で、胸板の所に天人の羽衣を描いたものである」と。
石虎は親に視せたと云う。
かの家では、富士の甲(カブト)、天人の冑(ヨロイ)と称するとぞ。

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