2023/01/03
巻之64 〔3〕 『守護神は天狗なり』と言い伝う
享保辛酉(享保年間に辛酉が見られない。参考までに丁酉享保二年1717年、辛丑享保六年1721年、己酉享保十四年1729年)の夏、鎌倉円覚寺の誠拙和尚は京都南禅寺の招きに依って上京淹留(長い間滞在すること)した。
つまり和尚は淹留中、晴天月夜などには、時々深更に及んで峰頂にいき数人笛を吹き、鼓を鳴らし、歌舞遊楽の声が頻(しきりに)数刻していた。
この峰頂は尋常は人が至る処ではない。
因ってはじめは従徒もあやしんで驚いていたが、山中の古老が言うには「この山中は古代より吉事がある時は、必ず峰頂に於いて歌舞音曲の声があった。
これは守護神が歓喜していることだ。
守護神は天狗であると言い伝うということだ」〔印宗和尚の話〕。
『高僧伝』に曰く。
「正応の間、亀山の上皇竜山の離宮に在すに、妖怪荐(しきり)に作り、妃婿媵嬙(君主の妻である各階級の女性)しばしば魅惑に遭う。
上皇大いにこれを悪み、乃し群臣を集めてこの事を議す。
みな曰く。この地の妖怪これを聞く事久しいなあ。
仏法の力に非ずんば、決して治むべからず。
これに於いて南北の高徳に命ず。
百計効無し。
時に西大寺睿尊律師戒行の誉有り。
勅して宮闈に棲む。
尊沙門二十員を率い、昼夜鈴を振り咒を誦う。
三月を閲るに至る。
而妖魅尚驕り、飛礫於護摩壇に投ず。
尊辞せずして而退く。
群臣門の徳望を奏す〔釈の普門号無関と。
東福の開山聖一国師の弟子なり。
逝る年八十。嘉元の間、勅して仏心禅師と諡す。
元亨三年、加えて大明国師と賜う〕。
乃し外宮に召す。且つ宣して曰く。
卿能く居ん乎。門奏して曰く。
妖は徳に勝たず。
世書に尚これ有り。
況や釈氏を乎。
釈子ここに居る。
何の怪かこれ有ん。
上皇その言を壮とし、有司に勅して門をして宮に入ら俾(し)む。
門但し衆与安居禅坐し、更に他事無し。
爾し自宮怪永く息む。
上皇大いに悦び、乃し心を宗門に傾け、弟子の札を執り、座禅を習い衣鉢を受く。
因って宮を革め寺と為す。
梵制未だを備らずと雖ども、特に勅門開山の祖と為す。
後来伽藍体を具う。
太平興国南禅禅寺と号す。」
そんなわけで怪は当時有ったわけだが。
今は還って穏やかなのは太平の世、由る所あり。
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