三篇  巻之46  〔8〕 口口の評論あるか、と

 去月(戊戌三月、天保九年、1884年か)廿八日、年頭として参向の勅使院使、並びに御下向の知恩院宮門跡、西本願寺門跡登城で、御饗応があった。
全体かの門跡は魚肉を用いられるので、この度もこう有るのを、西門跡より「この度は何とぞ精進に成して下さいますように」と願いが有った。が、協わず、饗応は魚肉になった、と。

 人が察するには、この宗では、「当日は開基上人の正忌であり、本山より一宗大精進して、厳しく魚肉を禁ずるので、知門宮も登営あると、同じく精進を用いられる旨とのこと。が関東の御勢では古例は更給わずのことであるという」。

 だから勅使その余に類して(関東の)いつもの食膳になった、と。
これ等を恥、且つ僧道を守るの意を示されしかなどと、口口の評論あるか、と。
 
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