三篇  巻之60  〔2〕 行儀の悪い平井の旗本衆

 高弾が『甲陽軍艦』に云った。
 平井の旗本侍衆、大小共に行儀悪くなり、武具の支度もやめ、乱舞法度があっても、表むきは小謡を一つうたわないが、屋敷の裏に座敷を建て、日々夜々に乱舞を張行(ちょうぎょう、強引に行う)する。

またその頃こうぎり、しょうぎり、松ぎり、富士ぎり、桜ぎりといって、五人の白拍子があった。
この下にいたいけ美人、しずさと美人などと、七八人もある。
その中の桜ぎりは、すがの大膳、藤ぎりは上原兵庫、両人の二人の白拍子にちなみ、内々にて日夜の遊山故、諸侍尽く両人にまねび、行儀わるい事、中々に申すにたえられぬ〔略〕。

ある人はこの事に就いて、云った「先年葺屋町の歌舞伎市村羽左衛門の坐は、ゆえあって坐を退き、桐長桐と云う者はその坐を持ちました。これ等その株ではないので坐を継ぐことはできません。これは官法ですね」というのが耳に入ってくる。

この長桐と云うのは、その昔その元祖は女であったこと、先年故あって、俳優(ヤクシャ)市川団十郎と云うが、わしに上(たてまつ)ったのを、文政の寅年(戊寅文政一年、1818年、庚寅文政十三年1830年。文政の大火は文政12年、1829に起こっているので、静山公の記憶違いか?)江東邸が類焼したとき焼死した。

けれども今彷彿とするのは、この時代は余程古い事で、その画像があるのだが、婦人で首に天冠を戴き、水干を着て、緋の大口を着ている。
その体は申楽(ノウ)の容態と異ならない。
因れば『甲艦』に載せた白拍子の、何ぎりと称するのは、長桐もこれ等の一つで、その頃より乱舞など、やはり婦人の謡舞である。

如何にもかの由緒書を失ったのを惜しむ。
時代も定めし符号するだろう。
他日古識の人に訊いてみよう。
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