続篇  巻之21  〔4〕 原田甲斐騒動、石田弥衛門の自記

 前に記した、前橋〔酒井〕侯宅で原田甲斐を討ったときの事を石田弥衛門の自ら記した中に、鈴木三郎大夫が鎗を持って出たことが見える。
その後『挍合雑記』を見て曰く。
酒井雅楽頭家頼(けらい)鈴木三郎大夫と云う者は、尾張殿にも御ぞんじの者で、鎗をつかっているが、五十人の扶持があって相済勤めていた。

先ごろ松平陸奥守家頼原田甲斐が、雅楽頭上邸で相役安芸を切った騒動の時に、右の三郎大夫は、玄関の三間柄の槍を持って出て、座敷で振り回し、首尾よくもなかったのだ。

その時の騒動相済た後に、亀山権大夫〔二百石使番。
家老関主税の弟である。
主税は千石取侯である〕が申したのは、「先ごろ原田を止めるは三郎大夫の槍に極まったと、曲って申したのを、三郎大夫は聞いて憤り、権大夫の他出(外出)をうかがい、三郎大夫は権大夫方へ仕掛け、供用意していた若党に、権大夫はもの淋しい御意を得たという。

それに御ひかえ下さいと申す所を一討にして、直に玄関へ上り、座敷へつっと通る。折節馬を引き出す間横になっているのを、初太刀を切り付けた。
権大夫も抜き合わせたけれども、深手なので叶わなかった。
二の太刀に切り伏せられてしまった。
それより切って出た。

権大夫の家頼、兄の関主税方へ報告するため、主税はそのまま刀をおっとって駆け出した。
主税の若党、御侍候へと、主をおしのけ、前へ進んだが、三郎大夫にはたと行きあったが、かの若党を三郎大夫は一討にして、主税と切り結んだ(激しく争った)。
主税も手負った。
その頃麦村六兵衛といって、厩橋(まえばし)の粋な町人であるが、武士になりたいと主税方へいつも出入りをしていたが、その節居合い、主税の供をして出たが、三郎大夫を切り結ぶ内に、六兵衛つっと抜いて三郎大夫を討ち止めた。

依って雅楽頭に聞き及ばれ、健気者だとなって、弐百石給わり、願は成就して侍にとり立てられた。
誠に一心勇気ゆえにそのような冥加にかなったのだ。
この時双方の家来どもを切り付けた故、手負い死人多く出たのだが。
滋野氏の物がたりである。
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