三篇  巻之50  〔2〕 堀田備中奥医師の不審な死

 ある人が云った。
 今ここ五月十四日(戊戌、1838年か)のことで、嗣君の閣老堀田備中殿の笄橋(こうがいばし)の下邸に住する奥医者、三輪玄真(年三十二)と云うが、備州先代未亡人の夜詰め(夜遅くまで働く事)が夜八ッ(午前2時頃)頃次の間に出て頻(しき)りに沈吟(じっと考え込む事)する様子なので、傍から「何を考えておられますか」と訊くと「発句を考えているのよ」と云って外に出ていった。

 翌十五日になると、その朝玄真の小舎(ナガヤ)に薬を欲しいという者が玄真を訪ねてきた。
その妻は「夫は昨夜よりまだ帰って来ないのですよ」と云った。
それで人々は不審に思って、捜し廻ったが見つからない。

 それで邸の外、目黒、雑司ヶ谷の辺りまで尋ねても見えないので、日光山瘤ヶ原へも使いをたてたり〔考えるに日光の山霊、天狗の類に行方不明人の所在を尋ねた。世に神隠しと云うものに遭った者をここに聞いてみたのだ〕。
且つその邸中を昼夜六度も、人は巡回するが、それでも見当たらない。

 そうしてその月廿二日に、玄真の死骸を草むらで見付けた。
不審に思われたので検分すると、脇差、下駄、傘がその側にあった。
が、素足で歩いたと思われ、足の裏に蹈傷(フミヌキ)があった。人はみなこれは狐に竹藪間を歩るかされたものと思った。

 まず邸祀の稲荷を閉門させ、侯の封国佐倉へ早飛脚を遣わし、狐捕〔これは思うに狐を捕る業の者、所謂狐釣の男である〕の藤蔵と云う男を呼び寄せて、訊いた。
「これは狐の所為でしょう、その徴があります」と云った。
そして医師が死んだ処を三尺ほど掘って埋めて置いて、明朝往って見ると、狐が土を掘った様子だったので、狐がやったことと決めた。

園中の山林に小屋を構え、四方に土俵を積み、屋根裏に板を敷き、これに死んだ鶏を懸けておいた。
これを狐が食しようと高い処に飛べば、板と鶏と共に墜ちてくるので、狐を捕えることが出来るだろう〔これは対州の人が朝鮮の和舘で、虎を捕えるのと同じ。事は前篇になる〕。
藤蔵はこうして夜も闌(たけなわ)になって、偽声を揚げて、「ああ暗くて道がわからない。助けてくれ」と叫んだ。
行く路行く路に「ごまめ〔小乾魚〕」を置いていた。

すると藤蔵は、かの小屋に入って隠れた。
この計らいによって、六月十日の夜になって六頭の狐と一頭の狸を捕った。
この狸は性質が猛々しく、罠にかかると何とかして逃げ出そうとした。
すなわち力を尽くして蹈(ふ)んで殺し、罠を外した。
すると狸は蘇ったと〔これは所謂狸ねいりというもので、老練狸である〕。
人はみな言った。「この獣がきっと玄真さんを殺したんだよ」と。
すなわち七頭の狐狸を合わせて備州の上邸に達した。
備州は「狐狸を喰おう」と云った。

人ははじめ「怪物だし且つ毒があるのではないか?」と疑った。
後は「美味だ」と呼んで、みな争って食ったので、遂に下の輩は喰うことは出来なかった。

玄真には母がいた。
年は五十余、妻は閣老松平泉州の臣某の女、年二十六、嫁して五年、子は無かったと云う。
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