続篇 巻之56 〔15〕 いつもと違う天保二年の初春

天保二年(西暦1831年、初春頃は1830年)の春のことと林子が文で云ってきた。
世の中の様はさても移り変わっていくもの。
この春も例の様に、年礼として朝回より所々の権家へ往くと、例年と替わっていて混雑が甚だ少ない。
大身(刃が長くて大きい事)の面々は供廻りもいかつい感じが少しも無く、互いに路を譲っていて真に穏やかなことになっている。

尤も近年供廻りの事については、しばしば令される旨もあるが、それも元より無きことでもない。
いかほど令が下っても、紛擾(ふんじょう、ごたごた)する事し、人々は威張り、怒(イカ)めしくがさつなのが常だが、この春ほど静謐なのは無い。
これ好事(よきこと)のようだが、何となく人気(ひとけ)が衰えたように思われる。

また家々の松飾りも、いつもなら旧の様に大造に造っていたが、多くのものは減少して、見所も無い飾りが多くなっている。
これ等は言い合いする事でもないので、何かなるようになった結果であろうか。総じて道路の往来も寡(すく)なく、込み合うような勢いも見られない。
かといって、拝年を止める人もない。
こう何かが変わっていこうとしているようだ。

また市井を行くと、初春はさまざまの売り物を手にしてあるくのを見ることもなく、店先に扇子箱をはじめ、年札の贈り物を積み重ねたものも見ない。
いつも男児は風巾(いかのぼり)、女児は毬(いが)羽板を持って、往来の妨げになるばかりであったが、釈然としてその様子もない。
鳥追い、太神楽なども、あるかないかと思う程で、年頭の往還らしくない。
いつもの道路とそう変わらない風情である。

また昆比羅、薬師の縁日へ往く人の咄を聞くと、盆花その他これまで夥(おびただ)しい売り物も、この春は稀少で、往来の人も込み合っていない。
ひそひそとしている。

こう何となく総体に見ていると衰えている感じがして、不思議千万である。
況や昨冬より連晴美日多いし、雨雪もなく風もなく、尚更人も多く出てもよさそうなのに、如何したことか。
この世の中、より人気のない方に向かうのだろうか。
我も六十余年を経る中に、このような初春を視たことも聴いたことも、更になしと云々。
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